中川大資
中川 大資(なかがわ だいすけ、1977年10月8日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都練馬区出身。第47代日本ウェルター級王者。第32代日本スーパーウェルター級王者。第58代日本ミドル級王者。帝拳ボクシングジム所属。東洋高等学校卒業。 来歴1997年2月28日、プロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。同年11月8日、プロ4戦目で東日本ウェルター級新人王トーナメント決勝戦に臨み、内藤賢之(シシド)に初回KO負けを喫して、しばらくリングを去った[1]。 6年を経た2003年12月6日、茂木修との4回戦に2-1の判定勝利を収めた[1]。2005年8月20日、小野寺洋介山(オサム)との5回戦は3ジャッジともに46-49のスコアとなり、判定負けを喫した。2006年4月1日、沼田康司(トクホン)との6回戦には58-56、58-57、58-58の2-0で判定勝利を収めた。 2008年の日本タイトル挑戦権獲得トーナメント「最強後楽園」ウェルター級には当初、山口裕司もエントリーしていたが、沼田への挑戦決定により外れたため、10月8日の牛若丸あきべぇ(協栄)との1戦目が決勝戦となった。中川はこれに3RTKO勝利を収めて優勝、MVPにも選ばれた[2][1]。 2009年2月9日、日本ウェルター級王者沼田康司に同2位として挑戦。約3年前の沼田との対戦から5戦連続KO勝利を含む6連勝中であったが、倒すことよりも勝利にこだわり、中盤には強打を受ける場面があったものの的確なパンチでペースを譲ることなく、100-92、99-92、98-92の大差3-0の判定勝利で王座を獲得した[3][1]。中川はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年2月度月間敢闘賞を受けた。 2009年6月6日、2位・斉藤幸伸丸(輪島S)を迎えての対戦では序盤に動きが硬く、斉藤のスピードに右ショートアッパーで応戦しながらもポイントで大きくリードされたが、5Rの右ボディで失速させて徐々に挽回、7Rの打ち合いに右ストレートから連打でダウンを奪ったところでレフェリーが試合をストップ。逆転の7回TKO勝ちを収め初で防衛に成功した[4][1]。同年12月5日、12位・山川和風(金子)に10回TKO勝ちを収めて2度目の防衛に成功した[5][1]。 2010年4月3日、OPBF東洋太平洋ウェルター級1位の日本同級王者として、日本ウェルター級1位・OPBF同級5位の井上庸(ヤマグチ土浦)と対戦し、初回と2Rに合わせて2度のダウンを喫したが中盤から徐々に挽回し、9Rにはダウンを奪い返して10回1-1(95-94、93-95、93-93)三者三様の引き分けに終わったが3度目の防衛に成功した[6][7][1]。同年8月7日には5位の沼田康司との3度目の対戦として防衛戦を行う予定だったが、左肋軟骨骨折により中止し[8]、王座を返上した[9]。 2011年7月2日、後楽園ホールでインドネシアスーパーウェルター級1位のバンバン・ルサディと対戦し、4回KO勝ちを収めた[10]。 2012年2月4日、切間庸裕(折尾)と日本スーパーウェルター級王座決定戦で争い、10回TKO勝ち。日本王座2階級制覇を達成した[1][11]。 2012年6月2日、柴田明雄(ワタナベ)と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した[12][1]。 柴田戦の試合後に引退を表明したが同年6月24日に自身のブログで引退を撤回[13]、2013年2月2日に再起となる試合で日本ミドル級3位の下川原雄大(角海老宝石)とミドル級10回戦を行い、3-0の判定勝ちを収めた[14]。 2013年6月1日、インドネシアのミドル級ランカーアルビン・マルブンと160ポンド契約10回戦を行い、3回TKO勝利でミドル級転向2戦目も危なげない勝利を収めた[15]。 2013年8月3日、後楽園ホールにて日本ミドル級王者の胡朋宏(横浜光)に挑戦し、7回2分56秒TKO勝利で史上4人目となる日本王座3階級制覇を達成した[16][1]。 2014年3月1日、OPBF東洋太平洋ミドル級王者柴田明雄(ワタナベ)と王座統一戦で対戦し、12回0-3(113-115、113-116、111-117)の判定負けを喫し日本王座から陥落した[1][17]。試合後、引退表明[18]。 戦績プロボクシング:28戦22勝(17KO)4敗(1KO)2分
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia