中村礼子
中村 礼子(なかむら れいこ、1982年5月17日 - )は、日本の元競泳選手。専門種目は背泳ぎ。東京スイミングセンター(東京SC)所属。2004年アテネオリンピック・2008年北京オリンピックの200m背泳ぎで2大会連続銅メダルを獲得した。 人物神奈川県横浜市都筑区出身。3歳の時ヨコハマスイミングクラブで水泳を始める[2]。 横浜市立勝田小学校、横浜市立茅ヶ崎中学校、湘南工科大学附属高等学校、日本体育大学卒業。 年上に稲田法子・中尾美樹・中村真衣・萩原智子、年下に寺川綾・伊藤華英と、同じ種目のライバル選手が多く、大学入学までは目立った活躍はなかった。 日体大ではインカレの200m背泳ぎで史上初の4連覇を達成。大学対抗戦女子優勝に貢献した。 2001年を境にして稲田・中村(真)・萩原の引退、寺川の不振などもあり、日本代表に定着。 2004年、大学4年次のアテネオリンピックで、100m背泳ぎ4位入賞、200m背泳ぎ銅メダル。4×100mメドレーリレー5位入賞[3]。 大学卒業後、東京スイミングセンターに移籍[4]。 2005年、世界水泳選手権銅メダル、北京オリンピック銅メダルをいずれも200mで獲得した。2大会連続のメダル獲得は、日本の競泳女子では72年振り[5]。また、100mで6位入賞、4×100mメドレーリレーでは6位入賞に貢献した[6]。 現在までに日本水泳選手権大会背泳ぎ200m5回・100m2回の優勝の実績がある。 北島康介は所属クラブと大学が同じで同学年ということもあり、親しい関係にある。大学卒業後は北島と異なり大学院には進まず、所属クラブ職員として選手活動を続けていたが、2008年10月6日に現役引退を表明した[7]。現在は所属する東京スイミングセンターでコーチのアシスタントとして活動している。 2009年8月16日、8歳年上の会社員と結婚した。2010年5月18日に第1子(長女)、2012年12月9日に第2子(次女)[8]を出産。 水着問題への対応中村は個人的にアシックスの水着を好んでおり、同社も中村を競泳水着の「顔」として売り込みを図っている。しかし、英国SPEEDO社が「レーザー・レーサー」を発表。中村は北京五輪代表権獲得後、積極的にそのテストを行っている。 2008年6月6日、「ジャパンオープン」では「レーザー・レーサー」を着用。100m背泳ぎで、伊藤に簡単に塗り替えられた日本新記録をまた更新する。レース後のインタビューでは、改めて「レーザー・レーサー」の性能に驚いていた。北京オリンピックではその「レーザー・レーサー」を着用してレースに臨んでいた。 主な戦歴
記録関連項目
出典
外部リンク
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