久島健一
久島 健一(くじま けんいち、1969年〈昭和44年〉9月25日[1] - )は、熊本放送(RKK)の社員。同社メディア総局所属のラジオディレクターで、くーじー名義で専属ラジオパーソナリティも務める[2]。 略歴熊本商科大学(現:熊本学園大学)を卒業後の1992年、熊本放送に入社。 入社時はラジオ営業部の営業職で、24歳の若さで東京支社テレビ営業部配属と東京転勤になるが、28歳だった1998年に念願の制作部門(ラジオ制作部[4])に異動し帰熊[5]、ラジオディレクター[6]となり[7]、先述の通り「くーじー(Coozy)」等の名義でラジオパーソナリティとしても活動していた。 いち早くインターネットを活用した番組も数多く手掛け、20年先を見通していた人物ともいえる。 地元新聞社熊本日日新聞が発行する「PEAP(女性向け冊子)」に6年の連載有り。また、熊本市の繁華街である上通の「上通STYLE」にもコラムを持っていた。そのほか、LOHAS思想を取り入れたRKKラジオの「HERBプロジェクト」では環境問題を取り上げ、RKKラジオのラジオカー「ミミー号」及びミミーキャスターのマスコットキャラクターを作成した[8]のも彼である(デザインは、むらいけんたろう)。 ラジオ番組「Club Sunday Street」では、番組DJのhugh(熊本竜太・現テレビ熊本報道記者兼アナウンサー)、内包番組を担当していた同局の社外ディレクター増子和由の3人で「hmc[9]」というユニットを組みCDを2枚発表している[10](後述)。 その後の2009年4月、ラジオ編成制作部内の制作部門から編成部へ異動、編成部門時代の2011年7月-2012年3月にかけて、ラジオ局の公式ブログとFacebookを執筆していたことがある[12]。その後異動となる。 2018年、再独立したラジオ制作部に復帰し「とんでるワイド 大田黒浩一のきょうも元気!」等を担当、同部次長を最後に異動となる。 2020年度はビジネス開発局メディア推進部で活躍、同年、熊日広告賞優秀賞を受賞。同局としては16年ぶりの受賞であり、その16年前の受賞も、久島の作品「AMへ、かえろう。」であった。また、翌年も2年連続で熊日広告賞を受賞している。 2021年4月の人事異動で、当時新規部署であった報道制作局デジタルメディア部へ異動(同部長代理→部長)。TBS系列がスタートさせたデジタルニュースサイト「TBS NEWS DIG」の立ち上げに関わりながら、ニュースをTikTokにUPするなど新しい試みを行い、当時はラジオ畑を離れていたにも関わらず、2000年代後半の第一次ポッドキャストブームの経験者として、2020年代に入ってからの第二次ポッドキャストブームを見据え、RKKラジオの番組「Radioマンガ研究室」の編集、複数の音楽配信サービス[13]へのポッドキャスト配信を行い、時折自身も番組に出演していた。 2025年1月1日付けでラジオ局専門部長に昇任しラジオ制作部に異動し、ラジオ畑へ復帰。同年4月1日付の大規模な組織改編では、メディア総局専門部長として音声コンテンツ担当となり、同時にラジオ番組「塚原まきこの福ミミらじお」のプロデューサーに就任[14]。上述の「Radioマンガ研究室」も引き続き担当する。 人物先述の通り24歳で東京支社に転勤になる迄の間、幼い頃に2年程大分県で暮らした以外は熊本を離れたことがなかった[15]という。 学生時代は大学まで野球部に所属していた(投手)[16][17]。中学時代は、野球の他にも、陸上部(100m)、柔道部と様々な運動部に借り出され、また、放送部の初代部長も務めていた。 息子も野球経験者で[18][19]、熊本東リトルシニア時代には、村上宗隆の1学年後輩として、一緒にプレーした先輩後輩の間柄である。また、村上からキャプテンを引き継ぎ、村上世代に続きKAB旗(熊本県内全硬式野球チームトーナメント大会)で、2年連続優勝を成し遂げている。父と同様、熊本学園大学硬式野球部まで野球を続けた。 飲酒・喫煙[20]は、一切しない。趣味は読書(純文学系)と音楽鑑賞で、小沢健二の大ファン。 現在の担当番組プロデューサーとしてディレクターとして
過去の出演番組
代表的なもの 他多数 過去の担当番組
プロデューサーとして
ディレクターとして
等多数 ディスコグラフィー
関連項目
脚注・出典
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