二十世紀が丘
二十世紀が丘(にじっせいきがおか[注 1])は、千葉県松戸市にある地域である。町名としては以下の7町がある。
正しい読みは「にじっせいきがおか」であるが、「にじゅっせいきがおか」と表記する例も見られる[3][注 2]。 概要松戸市南西部に位置し、1970年代にベッドタウンとして造成が行われた。1991年の北総線開通以降は、都心方面へのアクセスが向上したこともあり、さらに開発に弾みがついた。 「二十世紀が丘」を冠称する7町は1981年(昭和56年)の町名地番整理により成立したもので、それ以前は大字松戸及び大橋の各一部であった。 なお、南部に位置する北国分駅周辺(市川市堀之内)の一部も含めて「二十世紀が丘」と呼ぶこともあり、すばる書店・サイクルベースあさひなど、一部店舗は市川市内にありながら二十世紀が丘店と名乗っている。 地価住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、二十世紀が丘丸山町24番の地点で13万7000円/m2となっている[5]。 地図・郵便番号等郵便番号と地図は以下の通りである[3]。
地名の由来1888年に当地(現在の二十世紀が丘梨元町)で松戸覚之助が発見した「二十世紀梨」に由来する[6]。また、地区全体が下総台地上の小高い丘に位置するため「丘」を付している。 世帯数と人口2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
地域の公共施設教育施設
緑地・公園
その他
道路周辺
国分川分水路トンネル水没事故1991年9月19日、台風18号の影響でとちのき通り下に建設中であった国分川分水路に水が流れ込み、トンネル内にいた作業員7名が亡くなる事故が発生した[8]。当時、工事事務所および作業所は梨元町(大橋小学校裏側)にあり、周辺には連日大勢のマスコミ関係者が駆けつけ報道にあたった。これに連動し翌日には萩町のとちのき通りが一部陥没し、住民が避難する事態となった。 交通機関
脚注注釈出典
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia