二枚橋衛生組合座標: 北緯35度41分12.1秒 東経139度31分20.5秒 / 北緯35.686694度 東経139.522361度 二枚橋衛生組合(にまいばしえいせいくみあい)は、東京都調布市、府中市、小金井市の3市から排出される可燃ごみの焼却処理を目的とし、かつて設置されていた一部事務組合。1957年2月に設立、2010年3月に解散[1]。調布市野水2丁目1番地1に可燃ごみ処理場「二枚橋焼却場」を運営していた。 →「小金井ごみ問題」も参照
概要本組合が運営していた二枚橋焼却場は、3市の市域にまたがっており、長らく3市の可燃ゴミを処理してきた。1984年に施設の劣化により建て替えを検討したが、二枚橋の用地では200t程度と増大するゴミを処分することは困難であった。また翌1985年には建て替え計画に対し、二枚橋周辺の小金井市民グループからの反対運動が起こった[2]。 東京都からの移設調停案に対しても、小金井市側からの反対があり合意が得られなかったため、2004年には二枚橋焼却場の建て替え計画を断念し、施設を廃止して土地を各市に返却した上で組合を解散することが決定された。2007年3月31日に処理を停止し、残務処理の後に本組合は解散された[1]。 二枚橋焼却場所在地は調布市野水2丁目1番地1。都立野川公園(東京都調布市・小金井市・三鷹市)、野川、西武多摩川線を挟んで、都立武蔵野公園に接する。施設再建が中止され解体されることになった後は、2009年4月に保育園(私立やまびこ保育園)が当地へ移転開園し、道路を挟んで接するようになった。 跡地のうち調布市が所有する土地には「調布市クリーンセンター」が建設され、2018年(平成30年)12月17日に竣工[3]。深大寺東町にあったクリーンセンターを移転し、2019年(平成31年)4月より本格稼働を開始[3]。粗大ごみ処理とリサイクル資源(古紙・古布・ガラス瓶・空き缶)の収集選別を行っている[3]。 年表
廃止後の対応廃止後の各市は次のように対応することとなったが、対応は3市でそれぞれ異なるものであった。
現況現在の各市におけるごみ処理の状況は以下のとおりである。 →「多摩地域 § ごみ・し尿処理」も参照
→「調布市 § ゴミ処理」、および「三鷹市 § 広域事務」も参照
→「稲城市 § ゴミ処理」、および「府中市 (東京都) § 公共機関」も参照
→「小金井市 § 行政機関」、および「日野市 § ゴミ処理」も参照
小金井市ごみ問題の発生→詳細は「小金井ごみ問題」を参照
小金井市は当初ジャノメミシン小金井工場跡地に新たな焼却場の建設を計画したが、市民の反対で頓挫した。そこで国分寺市と新たに一部事務組合を設置した上で、2010年に二枚橋焼却場跡地に新しい清掃工場の建設を決定した[19]。 しかし、既に焼却場跡地と周辺地の転用先を決定していた調布・府中の2市から難色を示され、用地買収を断念した[20]。特に府中市は焼却場跡地の隣接地に保育園の建設を決定していたことから、健康被害を理由とする反対の声も大きかった。そうした状況を受けて、先述したジャノメミシン工場跡地に建設する案が再検討されていたが、他自治体との計画も順調に行かないままの状況を打開できないため、ひとまず周辺の自治体に可燃ごみ受け入れを委託してしのいでいた。 しかし、2011年4月に市長に就任した佐藤和雄の「他市へのゴミ処理委託費用が無駄である」とする選挙期間中の発言が問題視され、周辺自治体からごみ受け入れを拒否されるに至り、11月には辞任に追い込まれた[20][21]。この問題は「第2の東京ゴミ戦争」と呼ばれた。 小金井市のゴミを受け入れるにあたり、ふじみ衛生組合周辺の調布市民からも「小金井市には振り回されてきた」「住民感情として納得できない」「自分たちの環境は自分たちで責任を持つということを考えてほしい」と厳しい意見が上がっている[22]。 また紆余曲折を経て、2015年には浅川清流環境組合を設立するに至ったものの、日野市1市で単独処理し「ごみ改革」をしてゴミを減らしてきた日野市の住民としては、小金井市のごみを「押しつけられた」形になったため、日野市民の中からは反対運動も起きていた[23]。 脚注
関連項目資料
外部リンク
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