仙台市立仙台商業高等学校
仙台市立仙台商業高等学校(せんだいしりつ せんだいしょうぎょうこうとうがっこう)とは、宮城県仙台市泉区七北田字古内にある市立商業高等学校。通称は「仙商」(せんしょう)。 概要「仙商(せんしょう)」または「仙台商業(せんだいしょうぎょう)」と略される。 2009年(平成21年)4月1日に、男子校の「仙台商業高等学校」および女子校の「仙台女子商業高等学校」が統合され、男女共学の「仙台市立仙台商業高等学校」が開校した[2]。 新設校の「仙台市立仙台商業高等学校」は、従前の「仙台商業高等学校」の名称に「仙台市立」を付加した。 沿革年表以下は、「仙台商業高等学校」の視点に立った沿革。「仙台女子商業高等学校」の視点に立った沿革は当該ページ参照。
男女共学2008年(平成20年)1月、仙台市教育委員会は男女共学後の新校名を「仙台市立仙台商業高等学校」とする事を決定。その理由として「市内唯一の商業高を端的に表す名称」と説明。「仙台市立」を復活させ、現校名を維持する形になった。合わせて市教育委員会は市内の市立高等学校全てに「仙台市立」を冠することとなった。校章は、当時の在校生がデザイン。旧仙台商業と旧仙台女子商業の校章を組み合わせた形である。 校地「仙台商業高等学校」は、1999年(平成11年)まで仙台二高に南接する青葉区川内地区(仙台市都心部の西側、広瀬川右岸)にあった。校舎およびグラウンドの跡地のうち、北側部分は仙台二高のテニスコート等に転用された。跡地の南側部分は当初東北大学総合学術博物館が建設される予定であったが諸事情により中止となり、現在はせんだい青葉山交流広場という駐車場兼広場として運用されている。宮城県スポーツセンターの西側にあったプールの跡地は埋め立てられて仙台市博物館の臨時駐車場となり、宮城県美術館の西隣のグラウンドはテニスコートになった。 移転先の現校地は泉中央から西側の地区にある。当地は仙台市地下鉄南北線が泉中央駅まで延伸開業した1992年(平成4年)に浮上した構想である「仙台市立大学」のキャンパス用地であり、同大が設立された際には同校が付属高として当地に移転する予定だった[6]。1996年(平成8年)2月、市立大設立構想は断念されたものの、同校の移転先として利用された[6]。 設置学科
日商簿記甲子園
卒業後の進路卒業後の進路は以前は就職が多く、県内外有力企業からの求人が多かった。現在は約半数の生徒が国公立大学や関東圏の大学・地元の東北学院大学、東北工業大学、専門学校などに進学する。少数の就職希望者は防衛省、警視庁、宮城県警察、市区町村役場などの公務員になるものや、県内外有力企業に就職する。 施設
硬式野球場は改装以前の宮城球場よりも観客席を除けば面積も広く、2001年(平成13年)秋には新世紀・みやぎ国体の全国障害者スポーツ大会会場として利用されたこともある。 部活動硬式野球部は夏の甲子園に3度出場、3回戦(準々決勝)まで勝ち上がった経験もある。 フェンシング部は第22回全国高等学校総合体育大会において創部4年目で団体優勝を果たした。 2005年(平成17年)は自転車競技部、バドミントン部がインターハイに出場。その他の運動部も東北大会に出場するなど実績をあげている。 またハンドボール部は2006年(平成18年)、2007年(平成19年)と2年連続でインターハイ出場という快挙を成し遂げた。 2010年(平成22年)3月と4月に、近隣に所在するユアテックスタジアム仙台のピッチ除雪作業を運動部員有志が手伝ったことを称えられ、同年10月の「2010ベガルタ仙台ファン感謝の集い」にて「2010ユアテック感動サポート賞」が贈られた。
文化部は簿記研究部が、2006年(平成18年)は全国高等学校IT・簿記大会において簿記部門団体第3位、個人優勝し文部科学大臣杯、文部科学大臣賞、日本商工会議所会頭杯、日本商工会議所会頭賞を受賞している。また簿記研究部員は難関と言われる簿記検定1級を卒業までに取得することが多く、税理士を目指す学生も多い。 2007年(平成19年)にはコンピュータ部が全国高等学校情報処理競技大会で、初出場ながら団体3位に入賞した。 2015年(平成27年)園芸部が一般社団法人全日本菊花連盟全国大会に参加および出品。学校としての参加は史上初であり一般部門に出品し入賞。
取得できる資格ビジネス文書 主な著名人
交通脚注
関連項目外部リンク |
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