伊勢山 (藤沢市)
概要相模野台地の南端の標高49メートル[1]の小山。ここより南側は砂丘地帯となっていて湘南海岸をみはらす事ができる。標高30メートル付近は相模野礫層、その上はローム層、下は藤沢砂泥互層(吉沢層)となっている[2]。 歴史伊勢神宮が祀られていた[注釈 1]ので伊勢山と呼ぶのだとされる。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後に地元の在郷軍人会により戦没者慰霊碑が山上に集められ、1927年(昭和2年)桜が記念植樹された。遊園地[3]として開園した。以後桜の名所として春には花見客で賑わう。 藤沢市は1940年(昭和15年)10月1日に市制施行したが、当日に大野守衛市長代理や市民が伊勢山で市制の実現を祝った[4]。 伊勢山公園、伊勢山緑地伊勢山公園は、神奈川県藤沢市藤沢四丁目6297番1、伊勢山の山頂東部にある市立の公園。 遊園地[3]が1927年(昭和2年)に設置されたのがもとになっている。 伊勢山公園が1951年(昭和26年)5月20日に藤沢市第1号の公園として0.87ヘクタールで供用開始され、伊勢山緑地が1957年12月28日に伊勢山公園と同じ所在地で伊勢山公園を含む4.27ヘクタールの緑地として都市計画が決定された[5]。伊勢山緑地が正式名称で伊勢山公園は通称となっている[6]。 1994年(平成6年)にはソメイヨシノの名所としてかながわの花の名所100選に選定された。 戦没者慰霊碑1873年(明治6年)1月に徴兵令が発布されるまでは戦は武士のものだったが、官吏や有産者を優遇する免役規定があり不公平だったので農民たちは不満に思っていた。1877年(明治10年)に士族と徴兵された人々の戦であった西南戦争が勃発。伊勢山にある西征陣亡軍人之碑によれば藤沢市域から1名戦士、ほか高座郡出身者10名が戦死。徴兵制の免役規定は1889年(明治22年)に廃止され、大日本帝国憲法の第20条で兵役の義務を明文化した。日清戦争の戦死者は藤沢市域で7名判明、日露戦争の戦死者は藤沢市域で日清戦争の3倍にあたる20名が判明している[7]。 鐘楼かつては梵鐘がここに下げられていた。明治末期の神社合祀で白旗神社に合祀された山王社のあった山王山に神仏分離令まで山王社の別当であった荘厳寺の梵鐘[8]があったが、大正時代に藤沢町立実科高等女学校の設立に伴って山王山が校地となるため伊勢山に移設された。『大藤沢復興市街図』1930年(昭和5年)には「藤沢の新十名勝」の一つ「伊勢山の晩鐘」として選定され、朝夕に時を告げる「時の鐘」として使用されたが1943年(昭和18年)の金属類回収令により供出されてしまい鐘楼のみが残る[9]。 その他
藤沢配水池所在地: 神奈川県藤沢市藤沢四丁目6310番[11]。1936年(昭和11年)4月に竣工。鉄筋コンクリート造の池は、長さ24メートル、幅16メートル、深さ4メートル、容積1,536立方メートル(竣工当時は1,502立方メートル)。水位の標高は49メートル - 45メートル。神奈川県営水道施設群として、土木学会選奨土木遺産に2013年度認定された[12][13][14]。 ギャラリー
所在地情報伊勢山を舞台とした作品脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia