佐々木憂流迦
佐々木 憂流迦(ささき うるか、1989年10月7日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー[2]。静岡県沼津市出身[1]。血液型B型。セラ・ロンゴ・ファイトチーム所属。第3代修斗環太平洋フェザー級王者[3]。修斗新人王決定トーナメントライト級優勝。 リングネームの「憂流迦 (Ulka)」はサンスクリット語で天狗を意味する。「寝技王子」の異名を持ち、リアネイキドチョークを得意としている[4]。「寝技天狗」とも呼ばれる[5][6]。 来歴小学生のときにプロレスラーに憧れ格闘技に興味を持つ。当初はプロレスラーになるつもりでいたが、PRIDEを見るようになってからは五味隆典に憧れて、総合格闘家を目指すようになる。中学時代は剣道を経験し、飛龍高等学校入学と同時にレスリングを始めた(最高成績は全国高校生グレコローマン選手権 ベスト16)。卒業後に和術慧舟會駿河道場に入門した[7]。 総合格闘家として2009年7月26日、地元・静岡県で開催された寝技deGo! 2009の66kg級に出場。準決勝で戸井田カツヤにチョークスリーパーで一本勝ち。決勝では村田卓実に0-3のポイント負けとなり準優勝となったものの戸井田に一本勝ちしたことで注目を集めた。この時のリングネームは佐々木天狗であった。 2009年、全日本アマチュア修斗選手権ライト級で準優勝。決勝で中村好史に判定で敗れた。 2009年11月29日、第13回全日本コンバットレスリングオープン選手権大会・66kg級 3年未満の部に出場し、決勝ワンマッチで江幡晴大にチョークスリーパーで一本勝ちを収め優勝を果たした。
2010年3月22日、修斗新人王決定トーナメントライト級(65kg)1回戦で沖喜祥尚と対戦予定であったが、沖喜の負傷欠場により不戦勝となった。なお、リングネームは佐々木憂流迦として発表されていた。 2010年4月11日、CAGE FORCEでプロデビュー。スネーク敦を相手に試合開始後わずか30秒でチョークスリーパーで一本勝ち。 2010年6月13日、プロ修斗初参戦となった新人王決定トーナメント1回戦で、前口緑一郎にスリーパーホールドで一本勝ち。 2010年7月11日、第29回全日本アマチュアシュートボクシング選手権関東大会・65kg以下級に出場し優勝を収めるも、大会後にプロとしての実績があるとして優勝を取り消された。 2010年8月1日、寝技deGo! 2010の66kg級に出場。決勝で塩澤正人に勝利し、優勝を果たした。 2010年9月17日、修斗新人王決定トーナメントライト級準決勝でCRAZY D 元博と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2010年10月10日、DEEP Xでムンジアル茶帯王者松本義彦とグラップリングマッチで対戦。判定20-2の判定勝ちを収めた。31日にはCOPA ALLIANCEに出場。柔術部門アダルト白帯ペナ級で3試合連続一本勝ちで優勝、青帯を授与された。柔術部門アブソルート級では阿部光太郎に敗れた。NO-GI部門ではアダルト・エキスパート・ペナ級の決勝ワンマッチでキム・ジュンに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし優勝を果たした。 2010年11月20日、ヒクソン・グレイシー杯国際柔術大会2010に出場。アダルト青帯ペナ級の1回戦から3回戦までを勝ち抜くも、準決勝で恒村俊範にポイント0-4で敗退。アブソルート級では3回戦敗退。 2010年12月18日、修斗新人王決定トーナメント ライト級決勝で齊藤曜に3-0の判定勝ちを収め修斗新人王を獲得。同時に技能賞も獲得した。
2011年1月16日、DEEP X リアルキングトーナメント・ライト級に出場。1回戦・準決勝を勝ち抜くも、決勝で八隅孝平に敗れ準優勝となった。 2011年2月6日、地元での開催となったDEEP SHIZUOKA IMPACT 2011で鍵山雄介と対戦し、0-1の判定ドロー。 2011年2月27日、アブダビコンバット ASIA TRIAL 2011・アダルトエキスパート66kg未満級に出場。1回戦で敗退した。 2011年3月12日、修斗で伊藤一宏と対戦予定であったが、3月11日に発生した東日本大震災の影響で大会が延期された。4月1日、延期開催となった修斗で中村好史と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。 2011年7月18日、修斗で金田一孝介と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。8月2日付けでクラスAに昇格した。 2011年9月23日、修斗でガイ・デルモと対戦し、0-3の判定負けを喫しプロ総合格闘技初黒星となった。
2012年1月29日、師匠・芹澤健市の引退興行 DEEP富士山祭りに出場。渡辺智史と対戦し、判定3-0で勝利。 2012年6月30日、修斗で松本輝之と対戦。チョークスリーパーで一本勝ち。この試合からライト級(65kg)からフェザー級(60kg)に転向した。 2012年11月11日、修斗で井上学と対戦。判定1-0でドロー。
2013年1月20日、修斗環太平洋フェザー級(60kg)王座決定戦で徹肌ィ郎と対戦[8]。3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2013年3月24日、 駒沢オリンピック公園屋内球技場で開催されたアブダビコンバット ASIA TRIAL 2013 66kg未満級で優勝[9]。 2013年7月27日、修斗環太平洋フェザー級タイトルマッチで挑戦者の山本賢治と対戦し、開始11秒でKO勝ち。試合後に堀口恭司との対戦をアピールし、環太平洋フェザー級王座の返上を表明した[10]。 2013年10月18日、ADCC 2013に日本代表として出場も初戦でヒカルド・ヴィエイラにギロチンチョークで絞め落とされ一本負け。
2014年1月13日、修斗でZSTバンタム級(60kg)王者の藤原敬典と対戦し、1Rスリーパーホールドで一本勝ち。 2014年2月2日、PANCRASE 256で王座を防衛した石渡伸太郎に対し、パンクラスのリング上で「俺の喧嘩を買ってください」と挑発。しかし、石渡には「大人に相談します」と受け流され、結局二人の対戦は実現しなかった[11]。 2014年7月25日、自身のtwitterにてUFCと契約を交わした事を発表した[12]。 UFC参戦2014年8月23日、UFC初戦となったUFC Fight Night: Bisping vs. Leでローランド・デロームと対戦し、1R一本勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2014年12月20日、UFC Fight Night: Machida vs. Dollawayでレアンドロ・イッサと対戦し、キャリア初の一本負け。
2015年6月20日、UFC Fight Night: Jedrzejczyk vs. Penneでタイラー・ラピルーと対戦し、2Rに左ストレートでダウンを奪われ、追撃のパウンドを受けキャリア初のノックアウト負け。
2016年5月8日、階級をフライ級に下げ、UFC Fight Night: Overeem vs. Arlovskiでウィリー・ゲイツと対戦し、2R一本勝ち。
2017年2月11日、UFC 208でフライ級ランキング5位のウィルソン・ヘイスと対戦し、0-3の判定負け。 2017年6月17日、UFC Fight Night: Holm vs. Correiaでフライ級ランキング9位のジャスティン・スコギンズと対戦。2R中盤まで圧倒されていたが一瞬の隙を突きリアネイキッドチョークで一本勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2017年9月23日、UFC Fight Night: Saint Preux vs. Okamiでフライ級ランキング5位のジュシー・フォルミーガと対戦し、1Rにリアネイキッドチョークで一本負け。この試合の後、ニューヨークのセラ・ロンゴ・ファイトチームに移籍した[13]。
2018年6月23日、UFC Fight Night: Cowboy vs. Edwardsでジェネル・ラウザと対戦し、2Rにリアネイキッドチョークで一本勝ち。 2018年11月17日、UFC Fight Night: Magny vs. Ponzinibbioでフライ級ランキング9位でのちのUFC世界フライ級王者のアレッシャンドリ・パントージャと対戦し、1Rにリアネイキッドチョークで一本負け。 この試合を最後にUFCを離脱。最高ランクはフライ級13位だった。 RIZIN参戦
2018年11月29日、RIZINに参戦することが発表された[14]。 2018年12月31日、RIZINデビュー戦となったRIZIN.14でマネル・ケイプと対戦し、3-0の判定勝ち。[試合映像 1][補足映像 1]
2019年7月28日、RIZIN.17で元バンタム級キング・オブ・パンクラシストの石渡伸太郎と対戦し、2Rにノースサウスチョークで一本負け。[試合映像 2][補足映像 2] 2019年10月12日、RIZIN.19で朝倉海と対戦。試合開始直後に右フックを受けて顎を骨折し、ドクターストップでTKO負け[15]。[試合映像 3][補足映像 3]
2020年12月31日、怪我からの復帰戦となったRIZIN.26で瀧澤謙太と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[16]。[試合映像 4][補足映像 4]
2021年9月19日、RIZIN.30で階級をフェザー級に上げ堀江圭功と対戦するも、0-3の判定負けを喫した[17]。佐々木は試合数日前にぎっくり腰になっていた。[試合映像 5][補足映像 5]
2022年2月23日、RIZIN TRIGGER 2ndでクレベル・コイケと対戦。1Rに右フックでダウンを奪うも、2Rにリアネイキッドチョークで一本負けを喫した[18]。[試合映像 6][補足映像 6]
2023年5月6日、1年ぶりのRIZIN参戦となったRIZIN.42で元EFCフェザー級王者のボイド・アレンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。[補足映像 7] プロレスラーとして
2023年10月23日、プロレスリング・ノアの「MONDAY MAGIC」に登場し、11月13日にプロレスデビューすることを発表した[19]。11月13日『MONDAY MAGIC ep3』にエキシビジョン出場[20]。 2024年1月2日、「NOAH "THE NEW YEAR" 2024」にて杉浦貴を相手にプロレスデビュー。 2024年5月16日、CyberFightの新体制発表報告のなかで、ノアに正式入団したことが明らかになった[21]。 2024年7月13日、ノア日本武道館大会にてHAYATAの持つGHCナショナル王座に挑戦しこれを奪取。同王座のデビュー最短戴冠記録を更新すると同時に、自身初のプロレスのタイトル戴冠を成し遂げた[22]。 人物・エピソード
戦績総合格闘技
グラップリング
得意技
獲得タイトル格闘技
プロレス
表彰入場テーマ曲
脚注
試合映像
補足映像
関連項目外部リンク
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