作新学院高校野球部わいせつ事件作新学院高校野球部わいせつ事件(さくしんがくいんこうこうやきゅうぶわいせつじけん)とは、
本項ではそれぞれの事件について記述する。なお、特に説明がない場合、学校名を「作新学院」部活動名を「野球部」と略記する。 1958年の事件概要背景この年の作新学院野球部は、初出場となる第40回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たし、ベスト4進出を果たす。また第13回国民体育大会の高等学校野球競技に出場し、高松商業高等学校とともに[2]優勝を果たす。11月には第11回秋季関東地区高等学校野球大会に栃木県代表として出場し、6日の決勝戦で山梨県代表の石和を破り優勝している。 犯行の内容1958年(昭和33年)11月6日(関東大会の決勝戦が行われた日である)午後7時ごろ[3]、当時作新学院野球部員であった大田原市と西那須野町在住の18歳の少年が[3]、宇都宮市内の映画館で知り合った18歳の女性を[3][4]八幡山公園内の[3]蒲生神社裏に[4]連れ出して代わる代わる乱暴をした[3]。 犯行後11月11日、宇都宮署は少年2人を婦女暴行の疑いで補導した[3]。11月22日、栃木県高野連は理事会を開き、その席上作新学院の船田総務部長は「たとえ春の選抜野球や学生野球協会結成記念大会への出場を推薦されても辞退する」と発言し[4]、理事会はこれを了承した。また、県高野連としても責任をとる形で県下全加盟校の前記2大会への推薦を遠慮[5][4]することを決定した。 1959年(昭和34年)1月31日、日本学生野球協会審査室委員会(天野貞祐会長)でこの事件に関して審議が行われ、作新学院野球部に対して11月30日までの対外試合禁止を決定し、2月4日に日本高野連から発表された[6][7][8]。また暴行に及んだ2人の選手が将来社会人野球や大学に進んだ場合、その期間の出場停止に協力してもらいたいことを社会人野球協会、大学野球連盟に申し入れた[6][8]。 11月30日、高野連中澤良夫会長名で出された処分解除が、翌12月1日、栃木県高野連に通知された。[9] 2012年の事件概要犯行の内容2012年(平成24年)7月15日午前6時頃、作新学院2年生で17歳の野球部員であった人物が、宇都宮市で歩いていた17歳の女性に金品を要求して近くの住宅の植え込みに押し倒して乱暴をして怪我をさせた[10]。 この人物が所属していた作新学院野球部は、第94回全国高等学校野球選手権大会に出場していた。8月9日、この大会の1回戦を作新学院は戦い勝利する。試合の翌10日朝にバスで学校に戻り解散する。この解散直後に野球部員であった高校生が雑木林を通行していた16歳の少女に襲いかかり、軽傷を負わせて現金を奪い取った[11]。 これら2件以外にもう2件同様の犯行を行っていた[12]。 犯行後この人物は8月17日に8月9日の件で宇都宮中央警察署に逮捕される。同日にこの件が作新学院から高校野球大会本部に報告される。大会本部は類似事件が起きたが出場を認めた前例があったことから、引き続き作新学院の出場を認める[11]。この生徒は8月21日に自主退学[10]。9月6日に7月15日の件で再逮捕される[10]。 この事件を受け、作新学院野球部は既に決まっていた第67回国民体育大会への出場を辞退した。代わって仙台育英学園高等学校が繰上げで出場することになった[14]。 9月27日にこの元生徒は宇都宮地検から宇都宮家裁に送致される。だが10月22日に宇都宮家裁はこの元生徒を宇都宮地検に逆送した。理由は事件は悪質かつ重大であり、反省は深まっていないことから。他の2件でも追送致した[12]。 2013年(平成25年)12月9日、宇都宮地裁でこの事件の初公判が開かれる[15]。12月18日、懲役5年以上10年以下の不定期刑の有罪判決が下された[16]。 関連項目
脚注
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