内田亨内田 亨(うちだ とおる、1897年8月24日 - 1981年10月27日)は、日本の動物学者。北海道大学 名誉教授。学位は理学博士(東京帝国大学・1923年)[1]。専門は動物分類学など。ウチダザリガニの献名者としても知られる[2]。 来歴1897年(明治30年)8月24日:静岡県生まれ。東京帝国大学理学部卒業。1923年(大正12年)4月、日本動物学会の機関誌「動物学雑誌」の編集委員のひとりであった江崎悌三が九州に異動となり、編集委員会は、岸田久吉、内田 亨の2名体制になった[3]が年末に平岩馨邦が新たに加わり3名体制になった。1924年(大正13年)度末の日本動物学会評議員会の席で、1923年(大正12年)末に編集委員となった平岩馨邦が辞職を申し出たが入れられず、かわりに岸田久吉が勇退することになった。3月に岸田久吉が日本動物学会編集委員を辞任。同編集委員会は平岩馨邦、内田 亨の2名体制になった。 1932年(昭和7年)北海道帝国大学動物学科系統分類学講座初代教授に就任[4]。動物系統分類学の確立に努め、両棲類の性転換なども研究した。 随筆などの著作もあり、1953年『きつつきの路』で第一回日本エッセイストクラブ賞受賞[5]。1961年動物分類学会会長。 門弟の指導・育成内田亨の指導のもとに育った有名な動物学者の数は大変多い。そのうち、浅沼靖(医学の立場から)、今村泰二(ミズダニ類の研究の引継ぎ)、江原昭三(農学の立場から)の3博士はそれぞれ異なるダニ群を専攻し、ダニ学会にとってかけがえのない存在となった[6]。 内田享の系統動物学講座では、大学でゼミをすることももちろんあったが、内田の自宅で夜に行うことが多かった。たいてい夜7時頃に集まり、紅茶やお菓子が出され、動物の討論や漫談、それから欧米の学会の話などをすることが多かったが、時には内田は故人となった学者の話をすることもあった。12月のゼミナールは忘年会を兼ねて特に盛大で、この時は、内田の妻が自ら作ったフランス料理を食べたりすることもあったという。この時には北海道内にいる卒業生で遠く厚岸の実験所や函館にいる人たちも招かれた[7]。 関心のある動物分野は幅広く、専門の無脊椎動物以外に鳥類や哺乳類に関する著作もある[8][9][10][11][12]。 受賞・受章・栄典
著書
共編著
翻訳
論文脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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