利用者:のりまき/第十四作業室

分類

形態

オガサワラカワラヒワは全長約14センチメートル、体重約18グラムである[1]。見かけはカワラヒワに類似していて[1]、雄は頭部を中心に緑色が深く、雌は褐色がかっている[1]。また若い個体は胸から腹部にかけて縦にまだら模様がみられる[1]。オガサワラカワラヒワはカワラヒワの各亜種の中で最も翼の長さが短く、体重も最も軽い。一方、くちばしの長さは最大である。つまり小さな体に大きなくちばしを持つという特徴がある[2]。体重の軽さはカワラヒワの各亜種の中でもオガサワラカワラヒワの生息地は赤道に近く、ベルクマンの法則により体型が小型化したためと考えられている[1]。またくちばしが大きい理由としてはカワラヒワは主に草の種を食べるが、オガサワラカワラヒワは木の種子を食物とすることが多く、その結果としてくちばしが大型化したとみられている[2]。これは狭い小笠原諸島では季節や気象条件の悪化などによって草の種が少なくなることがあるため、木の種子も食物として利用するようになったためと考えられている[3]

分布

過去の分布

オガサワラカワラヒワはかつて聟島列島父島列島母島列島火山列島で分布が確認されており、小笠原諸島に広く分布していた[4]。聟島列島では鳥類学者の山階芳麿が1930年に鳥類調査を行った際には、聟島列島では全く確認することが出来なかったと述べているが[5]。1931年には聟島で2羽が採集されている[6]。その後1969年の調査時には聟島では確認できなかった[4]媒島では1889年に採集されている記録があるが、その後の確認記録は無い[7][4]

父島列島の父島では1828年の捕獲記録がある[4]。1914年には父島列島には多くないものの、8月から9月頃になると数百羽の群れをなして飛来し、通常長くとどまることは無く移動していくとの記録がある[8]。また主に聟島列島に生息し、秋になると父島、母島両列島に飛来して来るとみられていた[7]。1930年にも秋から冬にかけて父島に群れが飛来するとの記録があるが、数は少なくなっていた[4]。戦後は父島列島に不定期に少数が飛来していることが確認されている[4]

母島列島では1889年に母島で採集された記録があり[7]、その後、継続的に確認されている。しかし1930年にはかつては数多く確認されていたものの減少しているとの報告がある[4]平島向島姉島妹島姪島では繁殖が継続的に確認されている[4]

硫黄列島の硫黄島では1890年の時点で日常的にみられるとの記録があり[4]、1914年の記録でもおびただしく生息しているとされている[8]。しかし1930年には小さな群れが見られる程度にまで減少しており[4][9]、その後は2000年にオガサワラカワラヒワと考えられる40羽ほどの群れが確認された以外、記録がない[4]北硫黄島では昭和初期、多数が生息していたとの記録があるが[9]、その後は2000年にオガサワラカワラヒワと考えられる数羽が確認されているのみである[4]

南硫黄島では1935年に確認されており[10]、その後、1982年の学術調査時に生息が確認され[11]、2007年の調査時には最大10羽程度の群れが確認され[12]、島全体で100羽以上が生息している可能性が指摘された[13]。2017年の調査時も生息が確認されており、2007年と生息状況は大きな変化が無かったと推測された[14]

現在の分布

現在、オガサワラカワラヒワは母島列島の属島である平島、向島、姉島、妹島、姪島と南硫黄島で繁殖が確認されている[15][16]。平島、向島、姉島、妹島、姪島と南硫黄島はクマネズミの生息が確認されておらず、一方、かつてオガサワラカワラヒワが繁殖していたと考えられる他の小笠原諸島の島々にはクマネズミが生息しているため、オガサワラカワラヒワの局所絶滅はクマネズミの捕食圧が原因である可能性が高い[15]。母島列島では属島で繁殖した後、繁殖期が終わる5月から9月頃にかけて母島本島でよく見かけるようになる。これはこの時期に母島属島では食料が不足するためではないかとの推測がなされている。その後、9月から10月にかけて再び母島の属島でよく見かけるようになるが、11月から3月にかけて母島列島ではほとんど姿が見られなくなる。この間、母島列島のオガサワラカワラヒワがどこに居るのかは不明である[17]

南硫黄島では調査が数えるほどしか行われておらず、南硫黄島のオガサワラカワラヒワの移動状況は不明である[17]。なお、母島列島と南硫黄島の個体間では、ミトコンドリアDNAなど2339塩基対について分析を行った結果、遺伝的違いは確認されていない[17]。種子を食物とするオガサワラカワラヒワは食物の入手が天候条件によって左右されやすく、種子が不足している島から島間移動を行うことによって生き残ってきたと考えられ[18]、父島列島、母島列島から火山列島まで移動することが出来ると見られている[19]

生態

生息環境

鳴き声

採食

繁殖

保全への取り組み

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 川上、川口 (2022a), p. 4.
  2. ^ a b 齋藤 (2020a), p. 38.
  3. ^ 川上 (2021), pp. 147–148.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 川上、川口 (2022a), p. 6.
  5. ^ 山階 (1930), p. 326.
  6. ^ 山階 (1932), p. 254.
  7. ^ a b c 籾山 (1936), p. 109.
  8. ^ a b 東京府小笠原島庁 (1914), p. 109.
  9. ^ a b 籾山 (1936), p. 110.
  10. ^ 岡部 (1936), pp. 57–60.
  11. ^ 塚本 (1983), p. 265.
  12. ^ 川上ら (2008), p. 115.
  13. ^ 川上ら (2008), p. 120.
  14. ^ 川上ら (2018), p. 234.
  15. ^ a b 川上 (2017), p. 250.
  16. ^ 川上、川口 (2022a), p. 7.
  17. ^ a b c 川上、川口 (2022a), p. 10.
  18. ^ 川上 (2021), p. 190.
  19. ^ 川上 (2021), pp. 188–189.

参考文献

  • 岡部正義「硫黄列島の概況と植物調査」『東京営林局報』第38号、東京営林局、1936年、47-94頁。 
  • 川口和人『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』新潮社、2021年。ISBN 978-4-10-350912-7 
  • 川上和人、鈴木創、千葉勇人、堀越和夫「南硫黄島の鳥類相」『小笠原研究』第33号、首都大学東京小笠原研究委員会、2008年、217-250頁。 
  • 川上和人、鈴木創、堀越和夫、川口大朗「2017年における南硫黄島の鳥類相」『小笠原研究』第44号、首都大学東京小笠原研究委員会、2017年、111-127頁。 
  • 川上和人「小笠原諸島における撹乱の歴史と外来生物が鳥類に与える影響」『日本鳥学会誌』第68巻第2号、日本鳥学会、2019年、237-262頁。 
  • 川上和人、川口大朗「オガサワラカワラヒワの生態と個体群の現状」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、3-15頁。 
  • 川上和人、川口大朗「オガサワラカワラヒワの個体群存続に対する脅威」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、17-31頁。 
  • 川口大朗ら「オガサワラカワラヒワ保全計画作りワークショップ」『小笠原研究年報』第44号、東京都立大学小笠原研究委員会、2020年、55-78頁。 
  • 川口大朗、両角健太、足立祥吾、向哲嗣、川上和人「日本で最も絶滅に近い鳥オガサワラカワラヒワの絶滅回避のための保全プロジェクト 一般社団法人Islands care」『自然保護助成基金助成成果報告書』第31号、公益財団法人自然保護助成基金、2022年、202-209頁。 
  • 齋藤武馬「小笠原諸島で独自の進化を遂げたオガサワラカワラヒワ(前編)」『Birder』第34巻第8号、文一総合出版、2020年、38頁。 
  • 齋藤武馬「小笠原諸島で独自の進化を遂げたオガサワラカワラヒワ(後編)」『Birder』第34巻第9号、文一総合出版、2020年、38頁。 
  • 佐々木哲朗、向哲嗣「オガサワラカワラヒワ共生社会ワーキンググループの課題抽出」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、95-104頁。 
  • 鈴木創「オガサワラカワラヒワ保全計画作りワークショップ」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、41-46頁。 
  • 鈴木惟司、小林和夫「小笠原諸島母島で観察されたカワラヒワCarduelis sinicaの採餌集団について」『日本鳥学会誌』第39巻第2号、日本鳥学会、1990年、66-68頁。 
  • 塚本洋三「南硫黄島の鳥類」『南硫黄島の自然 南硫黄島原生自然環境保全地域調査報告書』環境庁自然保護局、1983年。 
  • 東京府小笠原島庁『小笠原島ノ概況及森林』東京府小笠原島庁、1914年。 
  • 中村浩志「小笠原諸島におけるカワラヒワの生態適応」『日本鳥学会誌』第46巻第2号、日本鳥学会、1997年、95-110  。 
  • 南波興之「オガサワラカワラヒワの存続可能性分析」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、47-65頁。 
  • 日本鳥学会『日本鳥類目録 改訂第8版』一般社団法人日本鳥学会、2024年。ISBN 978-4-930975-01-0 
  • 堀越和夫、川上和人「最悪のシナリオの検討について」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、91-93頁。 
  • 堀越和夫、鈴木創「保全戦略のビッグピクチャーとロードマップについて」『小笠原研究』第48号、東京都立大学小笠原研究委員会、2022年、183-190頁。 
  • 籾山徳太郎「小笠原諸島並びに硫黄列島産の鳥類に就いて」『日本生物地理学会会報』第1巻第3号、日本生物地理学会、1930年、89-186頁。 
  • 山階芳麿「聟島列島の鳥類」『鳥』第6巻第3号、日本鳥学会、1930年、323-340頁。 
  • 山階芳麿「小笠原群島産鳥類の標本」『鳥』第7巻第3号、日本鳥学会、1932年、253-260頁。 
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