植物の和名を調べる際、YList は重宝する存在である。しかし海外産の種である場合、このYListに掲載されているものであっても問題が見られる事例が存在する。更に現在特筆性が十分にある筈の種でYListに掲載されておらず、様々な文献(特に非オープンアクセスのもの)を調べるとやっと言及例が見つかるといったものも数多く存在する。日本ですら植物学が導入される以前は八坂書房 編『日本植物方言集成』八坂書房、2001年。ISBN 4-89694-470-4 。 等に見られるような様々な方言名が用いられていた。その様な訳であるから、海外の植物(これは動物等に関してもあてはまる)に複数の呼称が存在し、日本語で執筆を行う者が海外の資料を参考とする際に典拠の違いや音写の表記揺れ等により様々な訳語が生み出される事にまで統一化の手が回らないというのは、これはもう致し方ない事であろう。以下ではこの様な種について、現行のウィキペディア日本語版における諸々の制約は踏まえた上で詳しく検討を行っていきたいと思う。(最終更新: Eryk Kij (会話 ) 2021年7月7日 (水) 16:32 (UTC))
YList掲載種
呼称に問題があるもの
言及例は多いが呼称が一定でないもの
分類学的な問題に気を付けるべきもの
Ylist未掲載種
言及例は多いが呼称が一定でないもの
学名
分類
分布 (POWO (2019) による)
詳細
Calycophyllum candidissimum (Vahl ) DC.
アカネ科
メキシコ中央部からエクアドル北東部、キューバ、コロンビア北東部からトリニダード島 にかけて
ニカラグア では国樹 とされている。熱帯植物研究会 編 (1996 :418) では「ガヨボ 」という日本語名が与えられており、パナマやコロンビアでの呼称とされる Guayobo が根拠とされているが、この日本語名は他の場所で用いられている様子が全く確認できず、そればかりか元となった Guayobo でGoogle検索しても有効な言及例が見つからない。Elsevier の辞書を鑑みるにこれはスペイン語 Guaya bo の見間違いによる誤植であると考えられる。原音からすれば乖離した呼称であっても日本語圏で一定の定着が見られるのであればまだ諦めがつくが、そうでない限りこの様な呼称を記事名としてしまう事には激しい抵抗を覚える。しかも同書ではシクンシ科 モモタマナ属 の Terminalia amazonia (J.F.Gmel. ) Exell という全く分類学的に異なる種に中米での呼称 Guayabo に基づく「グアヤボ 」という日本語名があてられており、仮にアカネ科のものの方を Guayabo と読み換える事が許されるとしても、衝突が生じてしまう。少なくとも二重の問題が存在するのである。木材に関する海外文献の訳書2種では「レモンウッド」(ギブス (2005) )、「デガメ 」(ウォーカー 編 (2006) )という呼称が見られる。このうち「レモンウッド」は元の英語名 lemonwood で調べると分類学的に全く異なる種が他に3つも出てきた事を問題視して先回り的に曖昧さ回避ページレモンウッド を作ってしまっている[ 注 1] 。一方、「デガメ」であれば元となったと思われるキューバ のスペイン語名 degame に基づくと思われる。これは他の種と全く被らないという、スペイン語圏の植物名の事情[ 注 2] 全体からすれば非常に稀有な例であり、もしカナ表記を記事名にあてるとすればこれが最も妥当な選択肢であると思われる。
言及例が少なくどれが良いか定まらないもの
稀少な言及例に問題があるもの
学名
分類
分布(POWO (2019) による)
詳細
Gardenia coronaria Banks[ 12]
アカネ科 クチナシ属
インドからマレー半島 (ランカウイ島 )にかけて
熱帯植物研究会 編 (1996 :421) では「エンカット 」とされている(この名称は該当文献以外では一切見当たらない)。この名称の根拠はビルマ名として挙げられている Yeng khat であるが、結論から言えばこのカナ転写は原語からの隔たりが激しい。Yeng khat はビルマ語本来の綴りでは ရင်ခတ် [jɪ̀ŋɡaʔ] インガッ である。大野徹の『ビルマ語辞典』では ရင်ခတ် は「(植) クチナシ (アカネ科) の一種 Gardenia coronaria と G. obtusifolia 」の2つを表すとされ、この両者は互いに別種である。そして G. coronaria は ရင်ခတ်ကြီး インガッ・チー (ကြီး チーは〈大きい〉の意味、つまり全体では〈大きな ရင်ခတ် 〉) 、G. obtusifolia は ရင်ခတ်ကလေး インガッ・カレー (ကလေး カレーは〈子供〉の意味、つまり全体では〈ရင်ခတ် の子〉) と呼んで区別する事ができるともされているが、インガッ・チーの方は「(植) インガット (アカネ科) Gardenia coronaria 」という書き方がされている。ရင်ခတ် が原語では生物学的に2種以上の種を指すという問題は G. obtusifolia に直接日本語の呼称が与えられた例は確認できないとでも言えば不問に付してしまう事も可能ではあるが、問題はビルマ語の発音を理解している筈(実際に左に示したIPAとは少し異なるが jingaˀ という形を示している)の大野氏が原語の音と微妙に異なるカナ転写「インガット」をあてている点である。確証はないが大野氏は他の植物名の項目を見るに 熱帯植物研究会 編 (1996) で確認できる呼称を用いる傾向が見られ、(例: 153頁の စင်ပြွမ်း に「ロワダン」、467頁の ဘွဲ့ချဉ် に「マラバリカバウヒニア」) 、『熱帯植物要覧』で参照した呼称が余りに原音からかけ離れている為に手を加えたという可能性も疑われるが、あるいは単純に「インガット」という呼称が用いられた何らか典拠を参照したのかもしれない。
Mangifera caloneura Kurz
ウルシ科 マンゴー属
インドシナ
熱帯植物研究会 編 (1996 :267) では「タウチャエト 」とされている(この名称は該当文献以外では一切見当たらない)。この名称の根拠はビルマ名として挙げられている Taw thayet である。結論から言えばこのカナ転写は原語から著しくかけ離れたものである。Taw thayet はビルマ語本来の綴りでは တောသရက် /tɔ́ t̪əjɛʔ/ であり、これをカナ転写すると「トータイェッ 」となる。တော トー は〈森〉、သရက် タイェッ は〈マンゴー〉の事で、全体で〈森のマンゴー〉あるいは〈野生のマンゴー〉という意味となる。
Wrightia arborea (Dennst. ) Mabb. (シノニム: W. tomentosa Roem. & Schult. )
キョウチクトウ科 ライティア属 (英語版 )
インド亜大陸から中国南部およびマレー半島 にかけて
熱帯植物研究会 編 (1996 :412) では「レトックセイン」とされている(この名称は該当文献以外の信頼できる情報源では一切見当たらない)。この名称の根拠はビルマ名として挙げられている Lettok thein であるが、結論から言えばこのカナ転写は原語から著しくかけ離れたもので、ビルマ語本来の綴りでは လက်ထုတ်သိမ် /lɛʔtʰoʊʔ t̪èʲɰ̃/ であり、これをカナ転写すれば「レットウッテイン 」となる。なお、大野 (2000 :644) の語釈では「エンボク 」とされているが、これは中国語名「胭木 」を日本語の音読みに当てはめただけのものと思われる。
分類学的な問題があるもの
脚注
注釈
^ ただ、実際に「レモンウッド」のカナ表記でアカネ科以外の3種が言及された例はタンザニア・ポレポレクラブのサイト を除いて見つからない為、これは少々過剰な措置であったかもしれない。
^ 余談となるが、熱帯植物研究会 編 (1996) を見ると同じスペイン語名を持つものの (特に中南米の) 国や地域によって指している種が全く異なるという事例が多々見受けられ、Google Booksを中心とするネット上での検索を試みると更に多くの選択肢が存在する事が判る事例も多い。たとえば wikt:zapatero 等を参照されたい。
^ 熱帯植物研究会 編 (1996 :253) では Dysoxylum arnoldianum の方のみ掲載。これは非公開の Govaerts, R. (2000). World Checklist of Seed Plants Database in ACCESS D: 1-30141. で D. excelsum のシノニムと判定されている。
^ POWO (2019) によれば Turner (2018) でシノニムとする判断が下されている。
^ これはロルフがブランコの記載した学名 Gimbernatia calamansanai をバシオニム (basionym )としてモモタマナ属 (英語版 ) へ組み替える際に種小名を calamansanay とした表記がそのままが反映されたものと思われるが、実際にはバシオニムの種小名が優先される為 calamansanai とすべきである。
出典
^ コーナー & 渡辺 (1969 :278).
^ 海外移住事業団 編 (1974 :1008).
^ 岩佐 (2001 :137)
^ 熱帯植物研究会 編 (1996 :179).
^ ウォーカー 編 (2006) .
^ Folch (2012) .
^ スミソニアン協会 (2012) .
^ POWO (2019) によれば非公開の Govaerts, R. (2000). World Checklist of Seed Plants Database in ACCESS D: 1-30141. で D. alliaceum のシノニムと判定されている。
^ Govaerts et al. (2021) によれば、Govaerts, R., Frodin, D.G. & Radcliffe-Smith, A. (2000). World Checklist and Bibliography of Euphorbiaceae (and Pandaceae) 1-4: 1-1622. The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew. で既に E. malaccense を E. diadenum のシノニムとする判断が行われている。
^ Phillip Parker King (1791-1856; 探検家) もしくは ジョージ・キング (植物学者) (1840-1909; 植物学者)
^ Ding Hou (1978 :524) が P. officinalis を P. motleyi のシノニムとする判断を行っている。
^ Nathan Banks (1868–1953) entomologist, Richard C. Banks (1940-) or ジョゼフ・バンクス (1743–1820) botanist
参考文献
英語:
Sleumer, H. (1954). “Flacourtiaceae” . In C. G. G. J. van Steenis (ed.). Flora Malesiana, Series I . 5 . Djakarta: Noordhoff-Kolff N. V.. pp. 1–106. https://www.biodiversitylibrary.org/page/40228284
Ding Hou (1978). “Anacardiaceae” . In C. G. G. J. van Steenis (ed.). Flora Malesiana, Ser. I, . 8 . Alphen aan den Rijn, the Netherlands.: Sijthoff & Noordhoff International Publishers. pp. 395–548. https://www.biodiversitylibrary.org/page/28714971
Kulju, Kristo K.M. ; van Welzen, Peter C. (2005). “Revision of the genus Cleidion (Euphorbiaceae) in Malesia” . Blumea: Biodiversity, Evolution and Biogeography of Plants 50 (1): 197–220. https://repository.naturalis.nl/pub/524437 .
Applequist, Wendy L. (2013). “A nomenclator for Homalium (Salicaceae)” . Skvortsovia 1 (1): 12–74. ISSN 2309-6500 . http://skvortsovia.uran.ru/contents/index_1_1.html .
POWO (2019). "Plants of the World Online. Facilitated by the Royal Botanic Gardens, Kew. Published on the Internet; http://www.plantsoftheworldonline.org/ Retrieved 3 July 2021."
Govaerts, R. et al. (2021). World Checklist of Euphorbiaceae. Facilitated by the Royal Botanic Gardens, Kew. Published on the Internet; http://wcsp.science.kew.org/ Retrieved 16 May 2021
Govaerts, R. , D. Goyder and A. Leeuwenberg (2021). World Checklist of Apocynaceae. Facilitated by the Royal Botanic Gardens, Kew. Published on the Internet; http://wcsp.science.kew.org/ Retrieved 19 June 2021
日本語:
英語・日本語:
関連文献
英語:
Turner, I.M. (2018). “The importance of the plates in the Verhandelingen over de natuurlijke geschiedenis der Nederlandsche overzeesche bezittingen, Botanie for the nomenclature of South—East Asian plants”. Taxon 67 (3): 621–631. doi :10.12705/673.14 .