利用者:暁海/sandbox
![]() ![]() アカディ(仏: Acadie、英: Acadia)は、北米東部大西洋岸、特に現在の沿海州に相当するフランス語圏の文化地域を指す地名。また、現在アカディ人が多く居住する領域を指す。 ケベックに次いでカナダで一番フランス語話者が多い地域である。同じフランス系でありながらも、独自の歴史や方言を持つアカディ人は、ケベック人とは一線を画す民族的同一性を自認している。 フランス王国の植民地については、アカディ(ヌーベルフランス)を参照。 地理地理的範囲は明確ではなく、広義にはカナダ大西洋沿岸諸州(ノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワードアイランド州)及びケベック州東部、アメリカのニューイングランドあたりまでを含む場合もある。狭義では主にフランス語を母語とする沿海州の地域、或いはアカディ人を先祖とする人口が多くを占める地域を指す名称である。 アカディの主な市町村は次の通り:
名称アカディの名付け親はフランス王国に仕えていたイタリア人の探検家ヴェラッツァーノである。アカディの語源については諸説があるが、「理想郷」の代名詞となったギリシャの地域「アルカディア (Ἀρκαδία)」が転訛しアカディとなったのが通説。他に先住民ミクマク族の「場所」を意味する言葉「エーガディク(e'katik)」から由来しているとする説もある。 歴史![]() 当初この地域はフランス中西部出身者を中心として入植されたが、仏領ヌーベル・フランスと英領ニューイングランドの間に位置するアカディの領有権は北米植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、1755年、フレンチ・インディアン戦争勃発を機に、英国はフランス系住民に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固持したフランス系住民に対し、英国軍はその住居を焼き、所有地を没収し、フランス本国または英国植民地に強制的に移送するという措置を取った。この事件はアカディ人の国外追放と呼ばれる。移送を逃れたフランス系住民の多くは先住民の手を借りて仏領ヌーベル・フランスに逃亡した。ケベック州マドレーヌ諸島にはイギリス軍の追及が及ばなかったため、アカディ人の集落は存続した。 移送されたアカディの人々の多くは1763年ごろから英国領となった旧アカディに帰還し始め、イギリス系住民の入植地を避けて また、アカディ人の一部は、北米南東部のルイジアナ地方で現在アケイディアナと呼ばれる地域に定住し、「ケイジャン」の祖となった。 文化アカディ人の多くはカトリック信徒である為、信仰自体は減少傾向でありながらもカトリック教会の影響はアカディの文化に色濃く残っている。アカディの守護聖人は被昇天の聖母であることに因んで、トリコロールに聖母マリアを象徴する海の星をあしらった旗章がアカディの旗として1884年で制定された。アカディ人が全人口の3割弱を占めるニューブランズウィック州では、州立の公共機関には必ず国旗、州旗に並んでアカディの旗を掲揚する決まりがある。アカディの国民歌は1884年で制定されたカトリック教会のイムヌスの「アヴェ・マリス・ステラ」(「めでたし、海の星」)である。 アカディ人の話す方言はアカディ・フランス語。フランス西部のポワトゥー=シャラントから受け継いだ特徴が多く見られ、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保ってある。組織による中央化がされていない為、言葉の地域差があり、アカディ・フランス語の種類がそれぞれの州や地域で異なる。ケベック・フランス語に類似しており、アカディ・フランス語話者が少数であることから近年では英語化に加えケベック化も見られる。 ニューブランズウィック州北東部のアカディ半島には、18世紀から20世紀までのアカディ人の生活を再現した歴史村型テーマパーク「ル・ヴィラージュ・イストリーク・アカディアン(英: Village historique acadien)」がある。家屋、家具・調度のほとんどが実際にアカディ人が居住または使用したものであり、資料的価値が高い。しばしば年中行事の再現を行っており、アカディの伝統料理も味わえる。夏期のみ開園。 祝祭日
アカディ人の多い地域では、アカディを象徴する三色(赤白青)と金の星を身につけ、鳴りものを手にしてパレードする祭り「タンタマール(英: Tintamarre)」が催される。 関連項目
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