泉 麻人(いずみ あさと、1956年4月8日[1] - )は日本の作家、コラムニスト、気象予報士。慶應義塾大学商学部卒業[2]。
来歴
生い立ち
東京都新宿区の住宅街である中落合で育つ[3] [4]。父親は慶應義塾高等学校の数学教師であった。[5] [6] [7] [8]。泉自身も中学(中等部)から慶應義塾に学び[9][10]、高等学校在学中にはサッカー部に所属していた[11] [12]。大学在学中の1977年(昭和52年)
には、『ほんものは誰だ?!』(日本テレビ)に慶応義塾大学広告学研究会部長[13]として出演[14]、1978年(昭和53年)春には 『全日本パロディ放送広告賞』を受賞、友人とともに『11PM』(日本テレビ)に出演。[要出典]
職歴
大学卒業後の1979年(昭和54年)4月に東京ニュース通信社に入社[15]。『週刊TVガイド』の編集部に配属されNHK担当を約2年勤める[16]。その後『月刊TVガイド ビデオコレクション』の編集も担当[17]。編集部の仕事のかたわら、会社に内密で平凡出版の『ポパイ』などでコラムの執筆を開始する。
1984年(昭和59年)7月に退社してフリーランスとなる[18]。同年10月、作家・田中康夫との共著で『大学・解体新書』を刊行。また同年秋から1994年(平成6年)までの長期連載となる『ナウのしくみ』を週刊文春に連載を開始し、初期の泉を代表する仕事となる。
また、1986年(昭和61年)TBSのバラエティー番組『テレビ探偵団』に本名でレギュラー出演し、「私だけが知っている」コーナーを担当した。1998年(平成10年)にはみうらじゅんプロデュース、自身の作詞作曲により『IZUMIN』名義でソロシングルCD『コラムで行こう!』をリリース。[19]
さらに天気予報好き[20] [21] が高じて、2005年(平成17年)には気象予報士資格を取得[22] [23] し、その顛末を
『お天気おじさんへの道』に著した。
作風
デビュー初期は「今現在、若者の間で流行している風俗(ナウ)を面白おかしく、時にシニカルに伝える」当時の若者らしい軽薄調な作品が多かったが、年齢を重ねて行くと自身の幼少期や昭和時代の思い出、電車やバスといった交通機関の話題など、「近過去のレトロ」や同世代の“ナウ”を得意とするようになった。[24]
その他
自分の青春のアイドルは栗田ひろみであると公言していた[25]。人生で多くの影響を受けた人物は吉田拓郎[26][27]。石破茂は高校2年時のクラスメートである[28]。娘はフリーライター・コラムニストの朝井麻由美 [29]。
著書
共著
過去掲載のコラム
ディスコグラフィー
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発売日
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タイトル
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規格品番
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収録曲
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1st
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1998年08月07日
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コラムで行こう!
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TODT-5188
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詳細
- コラムで行こう!
- レラ(25時のシンデレラ)
- コラムで行こう!(ライヴ・ヴァージョン)
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メディア出演
テレビ
- 『泉麻人のウルトラ倶楽部』 - 1987年7月 - 9月。一部の回で解説を担当。
- 冗談画報 - フジテレビの深夜番組 - 司会。
- テレビ探偵団 - 本名の朝井泉で出演。1986年10月 - 1988年4月
- TVブックメーカー - フジテレビの深夜番組。
- 出没!アド街ック天国 - 初代「街に詳しいコメンテーター」1995年4月 - 1998年3月、2011年3月ゲスト出演。
- ラジオほっとタイム - 「ラジオなぞかけ問答」の師範。
- ストリーム - 「コラムの花道」木曜または金曜に不定期出演。
- タモリ倶楽部 - 不定期出演。
- 『泉麻人&山田玲奈のお天気マニア』(MONDO21)
- 『泉麻人&町田忍の昭和レトロ・ヒーローズ』(MONDO21)
映画
テレビCM
DVD
- 懐かしのこども番組グラフィティー ~教室のヒーローたち~
- 懐かしのこども番組グラフィティー ~夕方六時セレクション1~
- 懐かしのこども番組グラフィティー ~夕方六時セレクション2~
- 懐かしのこども番組グラフィティー ~おかあさんといっしょクロニクル~
- 東京風景1 東京ブギウギ 1945〜1955
- 東京風景2 新しき庶民のパノラマワールド 1956〜1961
- 東京風景3 オリンピックへ ! 東京大改造 1962〜1964
- 東京風景4 熱狂の東京パビリオン 1965〜1970
- 東京風景5 東京ホリデー 1971〜1980
- 泉麻人の昭和ニュース劇場 VOL.1 [昭和30年〜34年] 実相寺昭雄とのトーク解説
- 泉麻人の昭和ニュース劇場 VOL.2 [昭和35年〜39年] 実相寺昭雄とのトーク解説
- 泉麻人の昭和ニュース劇場 VOL.3 [昭和40年〜44年][35]
- 泉麻人の昭和ニュース劇場 VOL.4 [昭和45年〜49年]
- 泉麻人の昭和ニュース劇場 VOL.5 [昭和50年〜64年]
- 泉麻人の東京今昔アルバム 新宿編 〜定点撮影〜
- 泉麻人の東京今昔アルバム 渋谷編 〜定点撮影〜
脚注
- ^ ザ・テレビジョンホームページ スタ☆スケ 泉麻人 [1] 2021年2月9日閲覧
- ^ “泉麻人 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2020年11月17日閲覧。
- ^ 泉麻人「ヨジョーハンに於けるテレビの位置」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、303頁。ISBN 4-10-107619-7。「うちの実家は、東京の新宿区の中落合という町にあり、」
- ^ 泉麻人「衝撃の誌上同窓会 いまだからできるアノ話 慶應義塾高校時代 白紙答案から恋バナまで」『昭和40年代ファン手帳』中公新書ラクレ、2014年。ISBN 978-4121504975。「石破 中落合かなんかに住んでいて、」
- ^ 泉麻人「衝撃の誌上同窓会 いまだからできるアノ話 慶應義塾高校時代 白紙答案から恋バナまで」『昭和40年代ファン手帳』中公新書ラクレ、2014年。ISBN 978-4121504975。「石破 朝井はうちの学校の数学の先生の子供だったから、」
- ^ 泉麻人「23時以降のおピンクゾーン」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、234頁。ISBN 4-10-107619-7。「ウチの父は高校の数学教師だった。」
- ^ オカシ屋ケン太、泉麻人「応接間のゴーフル」『おやつストーリー』講談社文庫、1995年、412頁。ISBN 9784061858558。「うちは父親が高校の教師をやっていたので、」
- ^ 日経電子版 エンタメ! それでも親子[2] 2021年2月13日閲覧
- ^ P+D MAGAZINE ホームページ 著者インタビュー 泉麻人 [3] 2021年2月13日閲覧
- ^ 全日本コーヒー協会ホームページ インタビュー「コーヒーと私」 [4] 2021年2月13日閲覧
- ^ 泉麻人「栗田ひろみの話②」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、164頁。ISBN 4-10-107619-7。「確か、高1の夏のサッカー部の合宿が菅平高原で催され、」
- ^ 泉麻人「衝撃の誌上同窓会 いまだからできるアノ話 慶應義塾高校時代 白紙答案から恋バナまで」『昭和40年代ファン手帳』中公新書ラクレ、2014年。ISBN 978-4121504975。「泉 俺も、体育会のサッカー部だった。」
- ^ 泉麻人「ほんものは僕だ!①」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、259頁。ISBN 4-10-107619-7。「僕は当時広告学研究会というサークルの部長を務めていた。」
- ^ 泉麻人「ほんものは僕だ!①」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、259頁。ISBN 4-10-107619-7。「僕は、この番組に“ホンモノ”として出演したことがある。大学3年生の夏、昭和52年のことであった。」
- ^ ESPACE BIBLIOホームページ ゲストプロフィール:泉麻人 [5] 2021年2月9日閲覧
- ^ ESPACE BIBLIOホームページ ゲストプロフィール:泉麻人 [6] 2021年2月9日閲覧
- ^ nippon.com ホームページ 泉麻人 [7] 2021年2月13日閲覧
- ^ Schoo 先生一覧 泉麻人 [8] 2021年2月9日閲覧
- ^ TOWER RECORDS ONLINE [9] 2021年1月18日閲覧
- ^ 泉麻人「天気予報の魅力①」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、294頁。ISBN 4-10-107619-7。「小学生の頃からか、あるいは幼稚園の頃からかもしれない。とにかく気づいたときには天気予報を愛してしまっていた。」
- ^ 泉麻人「天気予報の魅力①」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、294頁。ISBN 4-10-107619-7。「考えてみれば僕はかなりの天気予報マニアである。」
- ^ 国土交通省ホームページ オンライン講演会 「なるがまま」の東京でいい [10] 2021年2月9日閲覧
- ^ 覚悟の瞬間(カクゴのトキ)覚悟の瞬間一覧 泉麻人 [11] 2021年2月9日閲覧
- ^ ESPACE BIBLIOホームページ ゲストプロフィール:泉麻人 [12] 2021年2月9日閲覧
- ^ 泉麻人「栗田ひろみの話① 栗田ひろみの話②」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、160-165頁。ISBN 4-10-107619-7。
- ^ 泉麻人 『僕とニュー・ミュージックの時代 青春のJ盤アワー』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2016 ISBN 978-4-401-64242-7、26-30p。
- ^ 第155話 フォークソング - 「フォークソングと言えば《寺》です」 - ピートのふしぎなガレージ
- ^ 泉麻人「衝撃の誌上同窓会 いまだからできるアノ話 慶應義塾高校時代 白紙答案から恋バナまで」『昭和40年代ファン手帳』中公新書ラクレ、2014年。ISBN 978-4121504975。「石破さんと泉さんは慶應義塾高等学校(通称・塾高)の2年生の時に同級生だったそうですね。」
- ^ PR TIMESホームページ 株式会社KADOKAWA [13] 2021年2月13日閲覧
- ^ 「ODAKYU VOICE」ホームページ内の最古のバックナンバー 2013年9月号において同コラムは確認出来なかった。[14]
- ^ 「高速家族」ホームページ内の最古のバックナンバー 2017年春号において同コラムは確認出来なかった。[15]
- ^ 紀伊國屋書店WEBストア 東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン (2015年3月10日号)2021年1月18日閲覧 [16]
- ^ “映画『三大怪獣グルメ』公開日2020年6月6日に決定!”. 映画ログプラス (2020年5月26日). 2020年11月22日閲覧。
- ^ 泉麻人「正月とカレー」『泉麻人の僕のTV日記』新潮文庫、1994年、282頁。ISBN 4-10-107619-7。「この時期('90年年末)、僕はTVガイド年末年始号のCMに出演していたのである。」
- ^ TSUTAYAホームページ [17] 2021年2月9日閲覧
関連項目
外部リンク