利用者:要塞騎士/sandbox/3
福岡3女性連続強盗殺人事件(ふくおかさんじょせいれんぞくごうとうさつじんじけん)とは2004年(平成16年)12月 - 翌2005年(平成17年)1月にかけて福岡県直方市在住の男が県内で女性3人を相次いで殺害した連続殺人(強盗殺人・強盗強姦など)事件[裁判 1][新聞 6]。 加害者・死刑囚S本事件の加害者Sは1969年(昭和44年)[裁判 1]、福岡県鞍手郡小竹町で[新聞 6]2人兄弟の長男として出生し[裁判 1]、逮捕当時は35歳・福岡県直方市下境在住で妻・保育園児の子供2人[新聞 7](長男・長女)[裁判 1]の4人家族で生活していた[新聞 7]。なお逮捕当時の食後は「土木作業員」と発表されていたがこれは一連の犯行後に就いた職業で、各犯行当時は運送会社に勤務して生鮮食品などをトラックで配送しており、犯行に及んだ飯塚市・北九州市・福岡市はいずれも仕事上の配送エリアだった。 逮捕までに交通関係の罰金以外には前科こそなかったが[裁判 2]、中学生時代から友人宅へ下着泥棒に入るなど女性用下着に執着を示していたほか[新聞 8]、事件当時はスナックでの豪遊・パチンコなどで多額の借金を抱えていた[1]。 直方市内の公立中学校を卒業すると鞍手郡宮田町(現:宮若市)にある公立[1](福岡県立)[裁判 1]の農業高校へ進学し[1]、高校卒業後は自動車整備士の資格を取得するために専門学校の自動車整備科に通学して1989年(平成元年)に卒業した[裁判 1]。その後は実父が経営する自動車整備工場で働きながら二級自動車整備士の資格取得を目指して熱心に自動車整備の仕事に取り組んだが資格を取得することはできず[裁判 1]、20歳代半ばごろからはわいせつなビデオなどを頻繁に見るようになり多数所有していた[新聞 8]。また1989年ごろに交通事故を起こしたためその被害弁償費用を捻出するためなどの理由から消費者金融で借金をし、それを契機にスナックの飲み代・パチンコ代などを捻出するため借金を重ね、合計数百万円の借金を抱えては父親からの援助などで返済することを繰り返したが、結婚前には借金を全額返済した[新聞 8]。 1999年(平成11年)に妻と結婚して夫婦で実家(両親宅)に住むようになったが、翌2000年(平成12年)には妻とSの実母との関係が悪化した[裁判 1]。S夫妻に長男が誕生した2000年12月ごろ、いったんは妻とSの実母との関係が改善したがその後再び悪化したため、2001年(平成13年)10月ごろには[裁判 1]直方市頓野の[新聞 7]市営住宅に転居した[裁判 1]。 Sは2002年(平成14年)に福岡県直方市内で自宅を購入して同年10月から同所で生活するようになったが[裁判 1]、新居に移ってからは「住宅ローンを抱えている」と漏らすようになり、友人の間では「借金で苦労している」という噂が広がっていた[新聞 7]。また新居で生活を開始してから1か月後の2002年11月には長女が誕生した一方、「実母と妻の折り合いの悪さ」から溜まったストレスを発散するために飲酒・パチンコをすることが多くなり、自分の小遣いが不足すると妻に無断で借金を重ねるようになったほか、両親と別居するようになってからも妻が「お金がない」などと生活費への不安を口にすることに不満を募らせ、同様に借金を重ねていった[裁判 1]。 2003年(平成15年)2月ごろに借金額は約300万円に達したが、自宅に抵当権を設定して350万円を借入することでこの借金を返済し、さらに2003年8月にも再び自宅に抵当権を設定して500万円を借り入れることで借り換えを行ったが、この借金を自分の小遣いだけで返済することができなかったために他の金融業者から融資を受けるなどして返済した結果、さらに借金額が増えた[裁判 1]。またこのころからはストレス発散目的で出会い系サイトを頻繁に利用していた[裁判 1]。 2004年(平成16年)2月ごろには借金を返済できなくなったことでS宅に「設定された抵当権が実行される」旨の通知が届いたため、Sの妻が「夫が借金を負っている」ことを知った[裁判 1]。この借金はSの父親が返済したため、自宅に設定された抵当権は抹消されたが、2004年6月には[裁判 1]父親から勘当されるような形で父親経営の自動車整備工場を退職した[1]。またSはこの時「他の金融業者からも借金がある」ことを秘匿したため、他の金融業者からの借金は清算されないままだったほか、このころには前年から頻繁に利用していた出会い系サイトの利用料として約100万円を請求されたため「この請求を放置すれば出会い系サイトを利用していたこと・清算しないまま残った借金などが妻などに知れてしまう。早く清算しよう」と考え、再び自宅を担保として350万円を借り入れた[裁判 1]。 Sはその後、借金返済に充てるために知人などから借金を重ねたため、2004年9月ごろには総額約800万円まで膨れ上がった借金の存在を妻に知られてしまい、夫Sに愛想を尽かした妻は小遣いを渡さなくなった[裁判 1]。そして性行為をするどころか身体に触ることさえも許さなくなっただけでなく、日常生活の中でもSに夫として接さなくなり、子供の前でも夫Sを罵倒するようになった[裁判 1]。Sは妻から小遣いをもらえなくなったため生活費・遊興費に極端に窮するようになり、同僚から飲食代をおごってもらうなどしており、実父の目から見ても明らかに「非常に惨めな思い」「哀れな状態」をしていたため、実父から度々小遣いを貰うなどしていたほか、妻と性行為をすることができなくなったことから「性欲のはけ口」がまったくない状態に陥り「性行為などを想像して悶々とする」ような性的欲求不満の状態でもあった[裁判 1]。 一方で自動車整備工場を退職したSは車検代行業などを経て2004年10月から[裁判 1]鞍手郡内の運送会社に勤務するようになったが[新聞 7]、自宅に帰っても妻から冷遇されることなどから0時より前に帰宅することはほとんどなく、自動車内で寝ることもたびたびあった[裁判 1]。この時のSは「運送会社に入社した直後、会社へ金融会社から取り立ての電話がかかってきた」上に給料を毎月2,3万円前借りしていたたため、運送会社の上司は「大丈夫なのか?」と不審に思っていた[新聞 7]。2004年12月初めごろには所持金もほとんどない惨めな生活に耐えきれなくなり、自動車を運転して徘徊しては一人歩きの女性を見て回るようになり、しばらくすると「一人歩きの女性を人気のない場所に連れ込んで強姦したり金品を奪ったりしよう」と考えるようになったことから、仕事の合間に自動車を運転して標的にできそうな一人歩きの女性を探すようになった[裁判 1]。 事件の経緯A事件第1の事件である本事件は福岡地裁判決では「飯塚事件」と呼称されている[裁判 1]。
加害者Sは飯塚市内でA事件を起こした2004年12月12日、これまでと同様に「強姦したり金品を奪ったりできそうな一人歩きの女性」を物色していた中で「若くて自分好みの女性」だった被害者女性Aを発見し、特に躊躇することなく「Aを強姦して金品を奪おう」と「並々ならぬ決意」を持って機会を窺いながら約500メートルにわたってAを追跡した[裁判 1]。その間、Sは「自分の顔を見られて犯人であることが発覚しないように」予め用意していた帽子を目深にかぶり、軍手をはめるなど周到な準備を行った[裁判 1]。 同日23時40分ごろ、Sは「現場公園内で犯行を実行する」ことを決めた上で現場公園に近づくと、現場公園前の歩道を通行していた被害者女性Aの背後からいきなり左手で女性の口を塞ぎ、その上半身を抱えるなどして女性Aを公園内に引きずり込んだ[裁判 1]。そして公園内で仰向けに倒れた女性Aの腹部付近に馬乗りになると、Aが当時首に巻いていたマフラーの首に近い部分を両手で引っ張り、Aの頚部を強く絞め付ける暴行を加えた[裁判 1]。この時、被害者AはSの胸付近を突き放すような仕草をしたが、Sはそれに構うことなくマフラーを引っ張り続けて被害者を気絶させて反抗を抑圧し[裁判 1]、左手の軍手を外した上で素手でAの乳房などを触るなどした上[裁判 2]、公園内で女性Aを強姦した(強盗強姦罪)[裁判 1]。 「これだけでも厳しい処罰に値する凶悪な犯行」であったが、Sはその後「自分の顔を見られたかもしれない。被害者を殺害しなければ自分が犯人であることが発覚してしまう」と「あまりにも簡単に」口封じ目的で殺害を決意し、Aが身に着けていたマフラーの首に近い部分を両手で引っ張ることで、Aの首を強く絞め続けてAを絞殺した(強盗殺人罪・死因:窒息死)が、通行人などに目撃されることを恐れて逃走したために金品強取の目的を遂げなかった[裁判 1]。 この一連の犯行は福岡地裁が判決理由で「犯行態様が凶悪・残忍極まりないことはもとより、被告人Sの態度には人間らしい理性や被害者の人格に対する畏敬の念などが全く感じられない」と表現した[裁判 1]。 B事件第2の事件である本事件は福岡地裁判決では「小倉事件」と呼称されている[裁判 1]。
飯塚市内でA事件を起こしてから19日後の2004年12月31日、加害者Sは北九州市小倉南区内で再び女性を狙った強盗殺人事件(第2の事件、B事件)を起こした[裁判 1]。 Sは2004年12月30日に勤務を終えると21時ごろになって父親が所有していた軽貨物自動車を運転し、北九州市小倉北区内を徘徊するなどしたが襲う相手を見つけられず、翌31日7時ごろには現場付近の小倉南区南方三丁目の駐車場に駐車した[新聞 8]。7時ごろに手提げバッグを持って出勤途中だったBが駐車場付近に差し掛かると[新聞 8]、「通行中の女性から所持金品を強取しよう」と企てていたSはBを見つけ「女性を脅してでも金品を奪おう」と並々ならぬ決意をした上でA事件と同様に帽子を目深にかぶり、軍手をはめた[裁判 1]。その上で「抵抗されたら殺傷することもやむを得ない」と考え[新聞 8]、凶器の刺身包丁(刃渡り約20.5センチメートル〈cm〉・平成17年押第30号の1)を持ち出して犯行の機会を窺い[裁判 1]、包丁をジャンパーの下に隠し持ったままBの工法を徒歩で追いかけた[新聞 8]。 Sは現場(小倉南区南方一丁目)の公園北側付近路上で付近に民家がなかったことから「ここでBを襲おう」と決意し[新聞 8]、犯行現場となった公園前に差し掛かると女性Bから手提げバックをひったくろうとしたが、Bから抵抗されたために直ちにひったくることができなかったため「バッグを奪い取るには被害者を殺害した方が早い」と決意した[裁判 1]。Sは女性Bに対し殺意を持った上で胸部・背部などを多数回にわたり突き刺し、Bを殺害した(強盗殺人罪・死因:心臓切損に基づく失血死)[裁判 1]。BはSから包丁で刺されて出血しつつも「何とかSの強行から免れようと」50メートル以上逃走したが、SはそのBを追跡した上、路上に倒れて抵抗不可能な状態だったBの背部を複数回にわたり包丁で強く突き刺した上で、仰向けになったBの胸部を再び強く突き刺してとどめを刺し、その上でBが所有・管理していた現金約6,000円・財布・健康保険被保険者証・鍵・マフラー・診察券・テレホンカードなど合計21点が入った手提げバッグ1個(時価合計約5,960円相当)を強取した[裁判 1]。 当時「特に派手な服装をしていたわけでもない」状態で早朝に道路を歩いていたBは「大金を持っていないことくらい容易に分かる」はずだったが、Sは「わずかな金銭を得るためにかけがえのない被害者の生命を奪う決意をし、ほとんど躊躇いもなく」被害者の殺害に及んだ[裁判 1]。また上記の犯行時、Sは「業務その他正当な理由による場合」でないにも拘らず、刺身包丁1丁を不当に携帯した(銃砲刀剣類所持等取締法違反)[裁判 1]。 Sは犯行後、帰宅途中に自宅付近で駐車した車内でバッグの中身を確認し[新聞 8]、中に入っていた財布をマフラーで包んで取った[裁判 2]。Sは財布から現金を抜き取った一方、鍵・被害者Bの健康保険証などを取り出し、手提げバッグそのものは妻に発見されることを恐れてエプロンなどほかの中身ととも用水路などに投棄し、10時ごろに帰宅して家族とともに浴場に行くなどして過ごした[新聞 8]。 一連の犯行は福岡地裁判決で「犯行態様は言うまでもなく残忍・凄惨なものであり、その態様に照らすと被告人Sの被害者Bに対する殺意は非常に強固であったことも明らかであって『被害者を死に至らしめることに執着している』と言っても過言ではなく、被告人に人間らしい理性は全く見出せない」と表現された[裁判 1]。 C事件第3の事件である本事件は福岡地裁判決では「博多事件」と呼称されている[裁判 1]。
事件当時、福岡市内などの配送先に商品などを保冷車で配送する仕事をしていたSは[裁判 2]、2005年1月17日22時30分ごろまで保冷車運転業務に従事して休息を取った後、翌18日3時15分ごろから再び業務を始めたが、この時には包丁を入れたプラスチックケースを保冷車に積んでいた[新聞 8]。Sは福岡県粕屋郡などで配送業務を行い、さらに福岡市内の食品会社に商品を配送するため福岡市東区内の路上に至ったが[新聞 8]、A事件と同様に「通行中の女性を襲って強姦し金品を奪おう」と企てながら現場付近を物色していた[裁判 1]。 一方で事件発生の約2時間前には現場付近の住民が現場公演「大井北公園」に面した道路に白っぽいワゴン車が停車しているのを目撃していた[新聞 12]。そのワゴン車は約30分後には走り去ったが、普段は人がいないような時間帯に見慣れない車が停車していたことからその住民は不審に思っており、後に「Sを占有離脱物横領容疑で現行犯逮捕した際に乗車していた車(銀色のワゴン車)」と類似する車として『読売新聞』報道で言及されていた[新聞 12]。 一方で被害者Cは6時30分からの勤務に就くため、事件当日5時ごろに福岡市東区内の自宅を出発し、事件直前の5時20分ごろには国道3号を徒歩で福岡空港へ向かっており[新聞 8]、現場公園前歩道上を歩行中だった際にSに見つかった[裁判 1]。5時20分ごろ、Sは手提げバッグを持った被害者Cが対向して歩いてくる姿を見かけたため「金品を強取した上で警察に発覚することを免れるため殺害しよう」と決め[新聞 8]、B事件でも用いた包丁を隠し持って犯行の機会を窺いつつCを追跡し、公園内で犯行を実行することを決めた[裁判 1]。Sは保冷車をUターンさせてCを追尾し、ゲームセンター駐車場脇に駐車して降車すると包丁を持って数十m後方からCを約700mにわたって追尾し、大井北公園前歩道上で「Cを人気のない公園内に引きずり込もう」と決意した[新聞 8]。 5時30分ごろ[新聞 8]、Sは現場付近に差しかかると突然Cの背後から左手で口をふさぎ、右手に持った包丁をCの顔の前に突き付けてCを公園内に引きずり込んだ[裁判 1]。SはCの顔面を拳で殴ってCを仰向けに転倒させると、公園奥まで約27mにわたり引きずった上で口の中に布を押し込み[新聞 8]、右手でCの首を絞めるなどの暴行を加えて犯行を抑圧した[裁判 1]。SはCのスカート内に手を差し入れてパンティなどを剥ぎ取るなど猥褻行為に及び、さらにCを強姦しようとしたが[裁判 1]、公園前路上をバイクが通りかかったため咄嗟に身をかがめ[新聞 8]、「通行人などに目撃されること」を恐れて強姦目的を断念した(強盗強姦未遂罪)[裁判 1]。「被害者に対する暴行の執拗さやわいせつ行為の悪質さなどに照らせば、これだけでも非常に凶悪な犯行といえる」ものだったが、SはA事件と同様に「被害者に自分の顔を見られたので殺すしかない」と考え、なんら躊躇することなく被害者の殺害を決意した[裁判 1]。 CはSのズボンの裾を掴んだりして追いすがったが、SはCを引き離そうとし[裁判 2]、引き続きCへの殺意を持った上で「既に執拗な暴行を受けて抵抗できない状態だった」Cの背部・腹部を「被害者の身体を貫通してしまうほど強い力で、すなわち非常に強固な殺意を伴い」凶器の包丁により計5回にわたって突き刺して致命傷を負わせ、遅くとも同日6時30分過ぎまでにはCを死亡させて殺害した(強盗殺人罪・死因:胸腹部・背面の刺切創に基づく失血死)[裁判 1]。その上でSはCが所有・管理していた現金約1,000円および財布など8点が入った手提げバッグ1個(時価合計約45,000円相当)を強取し[裁判 1]、5時45分ごろにバッグを奪って逃走した[新聞 8]。その後、Sは5時56分ごろには車に戻って仕事に復帰し、糟屋郡内の配達先で荷物の積み下ろし作業などを行ったが、6時30分ごろには「遺体が発見されたのではないか?」と不安を覚えて保冷車で公園付近に戻った[新聞 8]。しかし事件が発覚している様子はなく、公園内でCの様子を確認したところ「まもなく死ぬ」と思いそのまま立ち去った[新聞 8]。 また以上の犯行時、Sは「業務その他正当な理由による場合」でないにも拘らず、刺身包丁1丁を不当に携帯した(銃砲刀剣類所持等取締法違反)[裁判 1]。 福岡地裁判決は本事件を「犯行態様は言うまでもなく非常に残忍・凄惨なものだ。被告人Sの被害者Cに対する殺意が強固であることは明白で「被害者を死に至らしめることに異常なほどに執着している」と言え、被告人に人間らしい理性・被害者の人格に対する畏敬の念などは全く感じられない」と表現した[裁判 1]。 事件後の行動SはC事件後、仕事帰りに福岡県宗像市内の山林内に停車した[新聞 8]。Sは被害者Cの手提げバッグの中身を確認して「要る物と要らない物」を区分けし、手提げバッグを含めて「要らない物」は人目につかない道路脇の山林に投げ捨てるなどした一方[裁判 2]、手提げバッグ内にあった財布[新聞 8]・携帯電話機・ポータブルCDプレーヤー・鍵束・キャッシュカード・健康保険被保険者証などを「要る物」として取り出し、携帯電話以外は自宅に保管した[裁判 2]。携帯電話機は当初「出会い系メール・ツーショットダイヤルなどに使った後で捨てよう」と思って持ち帰ったが、結局はそのまま使用し続けた[裁判 2]。 事件2日後の2005年1月19日ごろ、Sは被害者Cの財布から現金1,000円を抜き取った上で「携帯電話の料金を払わずに済む」という理由から被害品の携帯電話を使用し、被害者Cの銀行口座残高照会を試みた[新聞 8]。またC事件の被害者から奪った携帯電話機にCの友人らが安否を確認する内容の電子メールを送信してきたことに対し、以下のように「被害者を冒涜し、その安否を気遣う友人らをもからかう態度の」電子メールを返信した[裁判 1]。
さらに料金を支払うことなく出会い系サイトなどで遊興する目的で被害者Cの生年月日をパスワードとして携帯電話を使用し、現行犯逮捕された2005年3月8日まで使用し続けた[新聞 8]。 一方でSは事件後も直方市内のスナックに通い続けており、かつてSが通っていたスナックのママは小野一光の取材に対し以下のように証言している[4]。
Sは2005年1月22日に事件当時の勤務先だった運送会社を退職し[1]、2005年2月2日から逮捕されるまで土木作業員として働いていた[4]。 捜査A事件発覚2004年12月13日7時25分ごろ、福岡県飯塚市伊岐須の公園で倒れている若い女性を出勤途中の女性事務員が発見し[新聞 4]、その通行人(通勤途中の女性)から「人が倒れている」と知らされた近隣住民の主婦が福岡県警察へ110番通報した[新聞 1]。飯塚警察署の警察官が事件現場に駆け付けたところ「20歳前後・身長約155cmで中肉・ロングヘアの女性」が仰向けに倒れて死亡しているのが確認された[新聞 4]。遺体は公園の植え込み付近で脚を開き仰向けに倒れており[新聞 1]、発見当時の服装は「黒っぽいハーフコート・セーター・ベージュのスカート・白っぽいブーツ」で乱暴されたような跡があり[新聞 4]、着衣の一部が乱れていた一方でブーツは履いたままだった[新聞 1]。また遺体の近くには女性のバッグが落ちており、中には現金二千数百円が入った財布・知人らとの手紙・携帯電話が残されていた[新聞 13]。 飯塚署は本事件を殺人事件と推測して捜査を開始し[新聞 4]、福岡県警は同日中に飯塚署へ捜査本部を設置した[新聞 9]。捜査本部が遺体を司法解剖したところ「遺体の身元は女性Aで死因は首を絞められたことによる窒息死」と判明したほか[新聞 9]、被害者Aのスカート裏地からは加害者の精液のようなものが採取され[裁判 2]、着衣も乱れていた一方で現場付近の被害者宅(アパート)には事件の形跡がなかったことから「屋外で乱暴目的で襲撃された」と判断した[新聞 13]。また県警は不審者の目撃情報の聞き込みなどに加え[新聞 9]、携帯電話の通話記録照会や公園の足跡・遺留物鑑定を行った[新聞 13]。 B事件発覚2004年12月31日7時40分ごろ、北九州市小倉南区南方一丁目の「南方一丁目公園」付近の市道で被害者女性Bが血を流して倒れているのを近隣住民が発見して119番通報した[新聞 2]。事件現場に駆けつけたは北九州市消防局員は「被害者女性Bが腹部などに2か所刺し傷を負っている」と確認したため福岡県警に110番通報したが、Bは間もなく搬送先の病院で失血死した[新聞 5]。 福岡県警は本事件を殺人事件と断定し県警小倉南警察署に捜査本部を設置して捜査を開始するとともに「Bが持っていた財布入り手提げバッグがなくなっている」という事実に着目して「強盗目的の犯行」と推測した[新聞 5]。遺体には腹部などに2か所の刺し傷があったほか右手親指・人差し指の付け根にも切り傷があったため、福岡県警は「襲われた際に激しく抵抗した際にできた防御創」と推測した[新聞 5]。 C事件発覚本事件発生時には「同じ福岡県内の公園で若い女性が殺害された」という共通点から、毎日新聞西部本社では当時未解決で結果的に同一犯と判明したA事件と関連付けた報道がなされたほか[新聞 10][新聞 11]、読売新聞西部本社夕刊はA事件に加えてB事件についても言及した[新聞 3]。 一方で被害者Cの使用していた携帯電話が現場付近で発見されなかったため、捜査本部は携帯電話会社に協力を求めて携帯電話から発信されていた微弱な電波を頼りに利用範囲を絞り込んだところ、事件後に加害者Sが在住していた直方市を中心とした福岡県筑豊地区で頻繁に発信され、出会い系サイトへの接続・通話などに利用されていたことが判明した[新聞 14]。このため捜査本部は「筑豊地区にいる人物が被害者Cの携帯電話を所持・使用している可能性が高い」と推測して不審者への職務質問を繰り返した[新聞 14]。 逮捕・起訴2005年3月8日1時すぎ、加害者Sは直方市内の県道で普段運転していた銀色のワゴン車を停車させて被害者Cの携帯電話を使用していたが[新聞 12]、これを捜査員に発見されて職務質問を受け、携帯電話が被害者Cのものだったため占有離脱物横領罪の現行犯で逮捕された[新聞 14]。捜査本部は同日13時過ぎから捜査員約20人を動員して加害者S宅を家宅捜索し[新聞 14]、被害者Cが英会話の勉強に使用していた教材・ヘッドホンステレオ、女性用の小物など被害者Cのものとみられる所持品を複数押収した[新聞 15]。 なお博多署が捜査していたC事件以外に2004年12月の1か月間で県警飯塚・小倉南各署管内で2件の女性を狙った殺人事件(A・B両事件)が発生しており、その手口などはC事件と比較して検討したところ「犯行時間帯・犯行場所の項目・被害者の項目・犯行態様」などにおいて多数の類似性を有することが判明したため、博多署C事件捜査本部は被疑者Sを占有離脱物横領容疑で現行犯逮捕した直後から「C事件のみならずA・B両事件の犯人ではないか?」と嫌疑をかけていた[裁判 2]。そこで捜査本部は被疑者Sの所持品からA・B両事件の証拠発見に勤めつつ、A事件において被害者Aのスカート裏地から採取された加害者の精液のようなものと被疑者Sのデオキシリボ核酸(DNA)型を鑑定するため、2005年3月8日には被疑者Sから了解を得てSの口腔粘膜細胞・唾液を採取し、翌日(2005年3月9日)付でDNA型鑑定を実施した[裁判 2]。 捜査本部は2005年3月9日午後に加害者Sを占有離脱物横領容疑で福岡地方検察庁へ送検したが[新聞 12]、Sは取り調べに対し当初「携帯電話は数日前にパチンコ店内で拾った。殺人事件の被害者の物とは知らなかった」などと供述し[新聞 14]、犯行への関与を否定した[新聞 6]。しかし捜査本部から「携帯電話を『拾った』と説明する日時の前後で接続先に変化がないこと」など矛盾点を追及されたことに加え[新聞 16]、自宅への家宅捜索で被害者Cの所持品・犯行に使用されたと思われる包丁、さらには被害者A・Bの財布などの所持品が発見された点を追及されると容疑を認めたため[新聞 6]、捜査本部は2005年3月10日に被疑者SをC事件の強盗殺人容疑などで通常逮捕した[裁判 2]。捜査機関は同日の取調べの中で、取調官が被疑者Sに対し「他にも事件を起こしていないか」と問いかけたところ、被疑者Sは「A・B両事件は自分がやりました」という旨を自認する供述を行ったことから、被疑者Sに自供書を書くよう勧めて同日付でA・B両事件に関する申立書(上記検甲第222号添付)を作成した[裁判 2]。 刑事裁判第一審・福岡地裁2005年6月22日に福岡地方裁判所(谷敏行裁判長)で被告人Sの初公判が開かれ、3事件のうち飯塚事件(A事件)を除く2事件に関して審理が開始された[新聞 17][新聞 18]。飯塚事件に関しては被告人Sの弁護人への証拠開示が遅れていたため審理は次回第2回公判に持ち越され、罪状認否で被告人Sは以下のように強盗殺人罪に問われた起訴事実の一部を否認した[新聞 18]。
被告人Sに対し谷裁判長が「被害者は亡くなっているのだから殺したんじゃないのか?」と問い質したが、被告人者泣きながら「よく覚えていない」と弁解し、弁護人から謝罪を促す内容のメモを手渡されても謝罪しなかった[新聞 19]。 2005年7月20日に第2回公判が開かれ、被告人Sは罪状認否で飯塚事件(A事件)について強盗目的を否認したが他2事件と異なり殺意そのものは認めた[新聞 20]。 2005年11月17日に第5回公判が開かれ[新聞 21]、福岡地裁は捜査段階における被告人Sの供述調書を新たに証拠採用した[新聞 22]。弁護人はその調書の任意性を争っていたが、谷裁判長が「任意性の要件を満たしている」と判断して証拠採用を決定したことで3事件の詳細な犯行状況・当時の被告人Sの心境が明らかになった[新聞 22]。
2006年(平成18年)1月26日に第7回公判が開かれ[新聞 23]、5回目の被告人質問が行われた[新聞 24]。被告人Sは検察官からの被告人質問で事件を起こした理由を問われ「金にルーズだったから」「わからない」などの答えに終始し、以下のような発言も見られたため検察官が「白々しいと思わないか?3人を殺害して死刑にならないのなら悪い見本を残し、青少年に悪影響を与える。今から死刑を覚悟しておけ」と非難した[新聞 23]。
一連のやり取りを聞いていた谷裁判長は[新聞 23]検察官・弁護人の質問がそれぞれ終了した後、被害者遺族が傍聴に訪れていることに言及した上で被告人Sを約10分間にわたり以下のように諭したほか[新聞 24]、陪席裁判官も被告人Sを「なぜ事件を起こしたのか考えなければ、あなたの言葉は空しいだけだ」と説諭した[新聞 25]。
2006年6月29日に論告求刑公判が開かれ、検察側(福岡地検)は被告人Sに死刑を求刑した[新聞 26]。 2006年9月7日に最終弁論が行われて結審し、弁護人がそれまでに殺意を認めていたA事件について主張を翻し「3事件いずれも殺意は認められない。被告人Sは被害者に謝罪し反省しており、更生可能性がある」と主張して死刑回避を求めた[新聞 27]。弁護人による最終弁論後の意見陳述で被告人Sは被害者・遺族への謝罪の言葉とともに「納得のいく内容で裁かれるならば極刑を覚悟している」と述べたが[新聞 28]、その一方で約1時間にわたり捜査・裁判の批判を展開した[新聞 27]。
2006年11月13日に判決公判が開かれ、福岡地裁(鈴木浩美裁判長)は求刑通り被告人Sに死刑判決を言い渡した[裁判 1][新聞 29]。 被告人Sは第一審・死刑判決を不服として2006年11月20日付で福岡高等裁判所へ控訴した[新聞 30]。 控訴審・福岡高裁2007年7月10日に福岡高等裁判所(正木勝彦裁判長)で控訴審初公判が開かれ、弁護人が「被告人Sは犯行当時責任能力が欠如した心神喪失状態か、もしくは著しく衰えた心神耗弱状態だった」と主張して精神鑑定実施を申請したが、正木裁判長はその採否を留保した[新聞 31]。一方で福岡高検側は「著しく不自然・不合理な主張で到底信用できない」と主張して死刑判決支持(控訴棄却)を求めた[新聞 31]。 2007年11月6日に控訴審第3回公判が開かれ、正木裁判長は弁護人から申請されていた精神鑑定を却下して公判を結審した[新聞 32]。また被害者遺族が意見陳述で「被告人Sは反省・悔悟しておらず、自分の命と引き換えにでも殺したい」と心情を吐露したが、被告人Sは被告人質問で以下のように述べた[新聞 32]。 2008年(平成20年)2月7日に控訴審判決公判が開かれ、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人Sの控訴を棄却する判決を言い渡した[裁判 2][新聞 33]。 被告人Sは控訴審判決を不服として2008年2月20日付で最高裁判所へ上告した[新聞 34]。 上告審・最高裁第三小法廷最高裁判所第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は2010年(平成22年)11月10日までに本事件の上告審口頭弁論公判開廷期日を「2011年(平成23年)2月8日」に指定して関係者に通知した[新聞 35]。 2011年2月8日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 36]。弁護人は「計画的犯行ではなく死刑は重すぎて量刑不当である」と主張して死刑判決破棄を求めた一方、検察側は「金品を奪うために落ち度のない3人の命を奪った悪質な犯行である」として被告人・弁護人側の上告棄却を求めた[新聞 36]。その後、2011年2月18日までに最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は上告審判決公判開廷期日を「2011年3月8日」に指定して関係者に通知した[新聞 37]。 2011年3月8日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人Sの上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Sの死刑判決が確定することとなった[裁判 3][新聞 38][新聞 39]。 被告人Sは最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)へ判決訂正申し立てを行ったが、2011年3月25日付で同小法廷から申し立てを棄却する決定が出されたため[新聞 40]、2011年3月27日付で被告人Sの死刑判決が確定した[5]。 死刑執行法務省(法務大臣:山下貴司)は2019年(令和元年)7月31日に死刑囚S(収監先:福岡拘置所)の死刑執行命令書へ署名し[5]、それを受けて2019年8月2日に福岡拘置所で死刑囚Sの死刑が執行された(50歳没)[新聞 41][新聞 42]。大和連続主婦強盗殺人事件の死刑囚(同日に東京拘置所で死刑執行)とともに令和改元後では初の死刑執行となった[新聞 43]。 脚注注釈出典刑事裁判の判決文 新聞記事出典
雑誌記事出典 書籍出典 その他出典
参考文献刑事裁判の判決文
書籍・雑誌
関連項目女性を標的とした連続殺人犯
外部リンク
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