利用者:Sethemhat/私論/翻訳についての私論
ここでは、私Sethemhatがウィキペディアにおける翻訳の際に特に気を付けておくべきポイントだと思うものを書き連ねました。 外国語の能力の前に必要な能力
自分の専門外の分野の翻訳を行う際は十分注意する専門外の話題に対する翻訳は、常に誤訳の危険性が付きまといます。その分野が専門ではない翻訳者が専門書を翻訳する際には、ほとんどかならず「監訳者」がいるはずです。これは、専門用語などは独特な用法(数学における「満足」、化学における「雰囲気」など)であったり、一般的な辞書にすら適切な訳語が載っていない場合などがあるためです。例えば、"nomarch"という用語は古代エジプトの歴史において頻繁に用いられますが、この訳が分からない状態でアルクで検索すると「〔古代エジプトの〕州執政官」という訳を見つけることができます。しかし、実はこれは誤訳です。専門書を読むと、同様の意味に対しては「州侯」という用語が用いられているのです。 単語1個の誤訳ならば些細なものかもしれません。しかし、その単語を知らないということは分野に対する知識がないということであり、下手をすると文章の意味すら誤って解釈してしまうかもしれません。そして、その文章が日本中だれでも閲覧できる状態になるのです。自分の知らない分野の翻訳に手を出すのは控えておいた方が無難だと私は思います。 機械翻訳を用いない端的に言うと、機械翻訳の文章を訳文のたたき台として使用することはやめておいた方がよいです。もちろん、最大限の労力で翻訳した文章があまりよい品質ではないことはあります。しかし、機械翻訳の場合はもっとひどいです。
そもそも、翻訳文が正しく訳せており、日本語としてほとんど誤りがないことは記事成立の最低要件です。日本語の記事なのですから、日本語に誤りが多ければそれは記事としての体裁すら保てていないと見るべきでしょう。機械翻訳をですます調だけ変えたものなどは、読んでみれば違和感のある表現が必ずあります。機械翻訳に使われないで下さい。 直訳は読みやすい文章ではない直訳(逐語訳)は必ずしも読みやすい文章とは限りません。これを判断するためには日本語の能力が必要です。翻訳元の文章は同時によい文章ではないこともあります。Wikipedia:翻訳のガイドライン#訳文の作成 にあるように、適宜文章を改変するとよいでしょう。原文を忠実に訳す必要はありません。 翻訳元は完璧ではない翻訳の元とする文章はWikipedia的に完璧であるとは限りません。むしろ、特筆性が十分ではなかったり、出典に欠けている場合のことが多いです。そのような記事を翻訳してしまうと、翻訳元の誤りを引き継いでいることがままあり、いつか改善が必要となります。そして、常に人手不足の日本語版においては翻訳記事に手を入れてくれる利用者はそう多くありません。私は、自分の後に誰も修正しないでも問題ないようにしようという心づもりで記事を書いています。 翻訳に付加価値をつける最も最善の翻訳方法は英語版の出典を直接確認しながら翻訳文も変更していき、必要に応じて自分が持っている出典などを加えることですが、それは往々にして難しい場合が多いです。そのような完璧な方法ではなくても、出典がついておらず、怪しいと思える記述を削除することや、文章中の数値の値を更新することなどでより良い記事にすることができるでしょう。 他利用者の機械翻訳記事を直す必要はない機械翻訳ほぼそのままの記事を見つけた場合、見つけたあなたが直すことが最善の対処法とは限りません。なぜならば、その記事あなたが直している間に同様の機械翻訳記事を量産してしまえるからです。お勧めの対処方法は{{機械翻訳の濫用}}を用いてその利用者に警告を行い、改善されなければ削除依頼を行うか、もし手順が分からない場合はプロジェクト:翻訳検証/個別報告等に報告することをお勧めします。 逆にまずい行動は見つけたまま放置することです。これは、その利用者による被害が拡大する可能性があるからです。プロジェクト:翻訳検証参加者が確認した際にはすでに編集は2000件を超えており、30以上の粗雑機械翻訳記事が量産されていた、といったことになってしまいます。 {{Rough translation}}を貼ることは低品質の翻訳を放置してよいことの免罪符にならないこれは考えればわかりますよね。日本語版Wikipediaの記事は日本全国の読者が見るかもしれません。人に見せられる文章を。 |
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