前田和也 (サッカー選手)
前田 和也(まえだ かずや、1984年1月8日 - )は、栃木県佐野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションは、MF、DF。ボランチを本職とするが[1][7]、センターバックやサイドバックもこなした[6]。 来歴小学1年生の時にサッカーを始める[1]。1999年に佐野日大高校に進学。3年時にはU-18日本代表に選出された[4]。 2002年にJリーグ(J1)・FC東京に入団[4]。同年4月6日の市原戦でリーグ戦デビューを果たし[8]、その後も少しずつプレー時間を延ばしていったが、初の先発出場となった翌5月の清水戦で緊張からミスを連発[9]。以降、公式戦での出場機会を得られず、12月からポルトガルの強豪FCポルトに3ヶ月間の留学をすることになった[10][11]。ポルトの外国籍枠に空きが無く、トップチームには登録されなかったが、激しい守備と素早いパス裁きを磨いた[12]。 2003年10月、降格危機[13] にあったJFL・佐川印刷SC(現:SP京都FC)へ期限付き移籍[14]。J1からの「助っ人」として戦う中で精神的にも向上[9]。会社業務も経験した。シーズン終了後復帰[15]。 2004年に入り、本格的にサイドバックに挑戦[1]。同年7月の柏戦において、FC東京では2年2ヶ月ぶりにメンバー入りし、右SBで出場すると[7] 自身のクロスからPKを獲得した[16]。翌8月の清水戦では初のJ1リーグ戦でのフル出場を果たし[1]、身体の強さを生かした守備と、果敢な攻撃参加を見せた[9]。2005年にはトゥーロン国際大会に臨むU-21日本代表に選出された[17][18]。また、2004年からはFC東京での選手会長を任され[19]、Jリーグ選手協会の支部代表[20]、支部長[21]、副支部長を務めていた[22]。 2006年6月、出場機会を得るため[5] J2・モンテディオ山形に完全移籍[6]。2007年限りで契約満了により山形を退団し[23]、Jリーグ合同トライアウトに参加。 2008年、地元栃木県で関東1部に所属する日立栃木ウーヴァSC(現・栃木シティFC)へ移籍。2009年の全国地域決勝大会で準優勝に入り、JFL昇格に貢献。攻守の要であり[24]、主将も務めていた[25]。2012年限りでの現役引退を栃木U公式サイト上で発表していたが、自身のブログでこれを撤回し、現役続行を表明した[26]。 2013年をもって現役を引退し[3]、翌2014年より栃木ウーヴァFCのコーチに就任[27]。2015年より同クラブの監督に就任すると発表された[28]。 しかし年間順位が最下位となり、1年で監督としての契約が満了となりヘッドコーチに配置転換した[29]。2017年2月、栃木Uのヘッドコーチを退任し、ジュニアユースのスタッフに就任した[30]。 所属クラブ
個人成績
代表・選抜歴
指導歴
監督成績
脚注
関連項目外部リンク
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