力道山十三回忌追善特別大試合力道山十三回忌追善特別大試合(りきどうざんじゅうさんかいきついぜんとくべつだいしあい)は、1975年12月11日に日本武道館で開催されたプロレス興行。 概要1963年に急逝した日本プロレスの主力選手である力道山の13回忌を記念して百田家が主催して行った特別試合である。全日本プロレスが主催した「オープン選手権」に出場した多くの選手が出場して観衆14500人を集めて行われた[1]。 新日本プロレスは開催発表前である1975年10月13日、10月24日に全41戦の日程で開幕する「闘魂シリーズ第2弾」に於いて[2]、12月11日に蔵前国技館で開催すりことを先に発表したため不参加となった(本興行の開催の正式発表は10月29日)[3]。試合開始前にはコロムビア・トップの進行による追悼式も行われて田宮二郎による挨拶、三橋美智也による歌謡ショーが行われた。 試合結果
テレビ中継日本テレビ『全日本プロレス中継』では大木VSブッチャーのみ放送され、東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』では草津VSホフマン、木村VSラシク、ジョナサンVSクツワダ、マツダVS井上の4試合が放送された。 備考この大会の終了後、オープン選手権に出場した選手の多くが負傷などを理由に大会出場を辞退、棄権する選手が相次いだ。また、「頭突き世界一決定戦」と銘打たれた大木対ブッチャーの試合の前にハーリー・レイスが、この前日の12月10日に岐阜市民センター大ホールで行われたオープン選手権公式戦でそのブッチャーとの死闘の末、両者リングアウト(両者負け扱いの引き分け)となり、試合後も両者が2階席まで殴り合いをした末[4]、負傷の為に棄権したことについて、レイスがスピーチ中に「ブッチャーには必ず復讐する」と述べた後、そのブッチャーが乱入し、レイスに対して襲撃・挑発を行ったとされている。さらに試合後にはリングアナウンサーである百田義浩に対しても襲撃、流血した[5]。これをきっかけに、百田はリングアナウンサーからプロレスラーへ転向するための修業を経て、1978年に正式にプロレスラーデビューを果たすこととなった[6]。この裏で、蔵前国技館では「闘魂シリーズ第2弾」の最終戦として、アントニオ猪木対ビル・ロビンソンのNWF世界選手権が開催されている。後に猪木は、2011年8月27日に開催された「INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜」にて、本興行の写真を見せられた途端、3階席に空席が目立っていたことを指摘して笑い飛ばしていたという[1]。 参考
脚注
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