加佐美神社
加佐美神社(かさみじんじゃ)は、岐阜県各務原市蘇原古市場町にある神社。新境川の左岸、加佐美山の東南東に位置する。 式内社である。元々は蘇原10カ村(伊吹・飛鳥・島崎・野口・熊田・東島・坂井・大島・宮代・古市場)の総社であるが、現在は蘇原地区の総社、産土神とされている。旧社格は郷社。 概略864年(貞観6年)、清和天皇により創建。かつてこの地を蘇我倉山田石川麻呂などの蘇我氏が治めており、「蘇原」の地名は、蘇我氏の領有に由来するといわれている。蘇我倉山田石川麻呂が亡くなった後、曽原荘(現在の蘇原)の人々が蘇我倉山田石川麻呂を崇敬し、祭祀したのが始まりといわれており、神社自体は7世紀には存在した可能性がある。905年(延喜5年)ころ、各務郡曽原荘古市場にあり八幡宮と呼ばれていたという。908年(延喜8年)には笠見明神と称されたという。なお、1912年(明治45年)発行の『府縣郷社明治神社誌料』中巻によれば、祭神及び創建年は不詳としている[2]。 『延喜式』神名帳では美濃國各務郡七座のうちに「加佐美神社」とあり[3]、『美濃國神名帳』では各務郡座二十三社のうちに「正四位下笠見田明神」と記されている[4][5]。なお、『各務原市史』では「『日本三代実録』貞観6年(864年)8月15日己巳条には「美濃国従五位下加佐美神授ク二従五位上ヲ一」とみえる」と記すが[注釈 1][5]、写本によっては記載が異なる[注釈 2]。 境内には阿弥陀堂、薬師堂があり、神仏習合の名残がある。かつては神宮寺として根本寺が存在したが、明治初期に廃仏毀釈で廃寺となっている。本殿(1687年建築)、幣殿(1910年建築)、拝殿(1746年建築)は国の登録有形文化財に登録されている[8][9][10][11][12][13][14]。 蘇我氏とつながりが深く、周辺には蘇我石川麻呂の墳墓(伝蘇我倉山田石川麻呂の墓)や、山田寺跡(山田寺塔心礎)がある。 1975年(昭和50年)9月16日、岐阜県神社長指定第76号により金幣社に指定される[14][15]。 参道は蘇原中央通りの一部に該当し、御旅所は参道沿いの蘇原古市場町二丁目にある。かつては参道には二ノ鳥居と三ノ鳥居があり、二ノ鳥居は蘇原中央通りとおがせ街道との交点、三ノ鳥居は蘇原中央通りと山田寺通りとの交点に存在したといわれている[16]。 かつて加佐美神社には一之宮、二之宮、三之宮があり、一之宮は各務郡古市場村(現・蘇原古市場町)の神明神社、二之宮は各務郡伊吹村(現・蘇原伊吹町)の八坂神社、三之宮は各務郡野口村(現・蘇原野口町)の熊野神社[注釈 3]である[17]。各務原市都市景観条例に基づき、2008年(平成20年)8月1日に各務原市告示第80号で神社を含む周辺の約37.29ヘクタールが重点風景地区に指定されている[18]。 戦国時代には加佐美神社は八幡宮と呼ばれ、神社の裏山の加佐美山も八幡山と呼ばれており、八幡山城が存在した[16]。 祭神境内社その他
主な神事『式内金幣社加佐美神社の栞』による。
文化財
所在地交通機関
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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