南西アフリカ (南アフリカ委任統治領)
南西アフリカ(なんせいアフリカ、英語: South West Africa、アフリカーンス語: Suidwes-Afrika、オランダ語: Zuidwest-Afrika、ドイツ語: Südwestafrika)は、20世紀の大半の時期において、南アフリカ連邦による統治がされていたアフリカ大陸南西部の地域名である。概ね現在のナミビアに相当する地域である。 前史としてのドイツの植民地→詳細は「ドイツ領南西アフリカ」を参照
1884年からドイツの植民地となっていたこの地は、ドイツ領南西アフリカ (Deutsch-Südwestafrika) として知られていた。この地域は、特にゲリラのリーダであるヤコブ・モレンガ(英語: Jacob Morenga)が主導した、数々の暴動を経験しており、ドイツは統治に難儀した。主要港・ウォルビスベイ・ペンギン諸島は、ドイツ統治前の1878年、既にイギリスに併合され、ケープ植民地の一部となっていた[2]。1910年に南アフリカ連邦が成立すると、ウォルビスベイはケープ州の一部となった[3] 。1890年にイギリス・ドイツ間で締結された、ヘルゴランド=ザンジバル条約で、ベチュアナランド国境からザンベジ川までの回廊が、ドイツの植民地に加わった。この回廊はドイツの首相であるレオ・フォン・カプリヴィにちなみ、カプリヴィ回廊 (Caprivizipfel) と名付けられた[4]。 南アフリカによる統治第一次世界大戦において、南アフリカ連邦軍が占領し、戦後に国際連盟委任統治領として、南アフリカの統治下に置かれることとなった。1960年の国連総会で南西アフリカの国際連合信託統治領への移行が決議されたが、南アフリカはこれを拒否して実効支配を継続した。その後、1966年にはナミビア独立戦争(南アフリカ国境戦争)が始まり、結局1990年にナミビア共和国として独立を達成した。 脚注注釈
出典
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