原みつるとシャネル・ファイブ
原みつるとシャネル・ファイブ(はらみつるとシャネル・ファイブ)は、かつて存在した日本のコーラスグループ、ロックバンドである。 略歴・概要活動期1971年(昭和46年)7月、藤本卓也作詞・作曲によるシングル『稚内ブルース』でキングレコードからレコードデビューした。同シングルは、ジャケット表面に「ダイナミック演法第一弾!!」と銘打たれ、演奏の実力を売り物にしており、またジャケット内面には、「知床から稚内へ」「長崎から北海道へ」という文言が書かれ、前年の最大のヒット曲のひとつ加藤登紀子の『知床旅情』(1970年)、長崎市で結成された当時の人気グループ「内山田洋とクール・ファイブ」が意識されていた[1]。リードヴォーカルは、1969年(昭和44年)に日本コロムビアからシングル『ここは東京六本木』でデビューした「原みつるとエリートメン」の原みつるである。同年、カヴァー中心のアルバム『稚内ブルース』をリリースした。 「ダイナミック演法」で知られる実力派グループであり、内山田洋とクール・ファイブに強烈な影響を受けたグループとしても知られる。演奏の技量は非常に高く[要出典]、原みつるのサポートでは歌謡曲を主に演奏していたが、新田憲幸のボーカルでは歌謡曲、ポップス、スタンダード、ディスコミュージックと実に幅広いジャンルを演奏していた[要出典]。 北海道放送の関係会社がいくつかの楽曲の出版権をホールドしており、同局と関係が深い。元北海道放送のディレクターで、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのシングル『愛の終りに』の作曲で知られる札幌の作曲家彩木雅夫も楽曲提供している。提供曲に限らず、彼が経営するミュージックキャップトーキョーが出版権をホールドしている曲もある。また、『港の五番町』は1988年(昭和63年)に五木ひろしがカヴァー、五木は同曲で「第30回日本レコード大賞」金賞を受賞、第39回NHK紅白歌合戦に出場している。 「原みつるとシャネル・ファイブ」名義でシングルを5枚、アルバムをオムニバス参加を含めて3枚、原が「平田満」としてソロデビュー後に、「シャネル・ファイブ」名義でシングル1枚、「平田満+シャネル・ファイブ」名義でシングル1枚、アルバム1枚をリリースしている。 その後原みつるは、のちに1976年(昭和51年)、『愛の狩人』の歌手「平田満」としてソロデビューした。バックバンドは「シャネル・ファイブ」で、「平田満&シャネル・ファイブ」名義でアルバム『愛の狩人』をリリースしている。現在の活動は幸斉たけし名義で作詞・作曲活動に専念している。 新田憲幸は、2004年(平成16年)現在、札幌でアマチュアバンド「アフターファイブ」のリードヴォーカル、ドラムスを担当しており、1960年代 - 1970年代の曲や、同バンドのオリジナル曲『夢をもう一度』等を演奏している。また、2009年(平成21年)現在、札幌でアマチュアバンド「JAVA-JIVE(ジャバジブ)」のリードヴォーカル、パーカッションを担当しており、ラテンロック、サンタナの曲を演奏し、札幌や小樽の音楽祭に積極的に参加している[2]。 梅村良一は、2008年(平成20年)現在、札幌で、北欧系インストルメンタルのアマチュアバンド「ジャドウズ」でギターを担当しており、スプートニクスの楽曲等を演奏している[3]。 現在、同バンドのオリジナル音源でCD化されているものは、『稚内ブルース』、『信ずる他にない』、『白い慕情』のみである[4]。カヴァー版の『長崎は今日も雨だった』はCD化され、オムニバス・アルバム『昭和のうた5 -昭和41年 - 61年-』(1989年)に収録された。 メンバーデータはデビュー時の公称[1]。
ディスコグラフィーシングル「原みつるとシャネル・ファイブ」名義
「シャネル・ファイブ」名義
アルバム
楽曲収録CD
註
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