原初年代記
![]() 『原初年代記』(げんしょねんだいき)は、およそ850年から1110年までのキエフ・ルーシの歴史について記された年代記(レートピシ)である。初版は1113年に編纂された。『過ぎし年月の物語』(古ルーシ語:Повѣсть времяньныхъ лѣтъ;ウクライナ語:Повість врем'яних літ;ベラルーシ語:Аповесць мінулых часоў;ロシア語:Повесть временных лет)とも。 3種類のエディション初版はキエフ洞窟修道院の修道士年代記者ネストルの手によって完成されたと思われ、故に本書は『ネストル年代記』、『ネストル原稿』とも呼ばれる。ネストルは、
などの資料を元にこれを書き上げた。ネストルはスヴャトポルク2世の宮殿で勤めたため、おそらく親スカンジナビアの王の視点を共有したと思われる。 年代記の前半部は、
など逸話的な話に富んでいる。 1116年、ネストルの初版は典院(Hegumen)シリヴェストルによって広範囲にわたって編集された、彼は自分の名を年代記の最後に付け加えている。ウラジーミル・モノマフ公が彼の修道院が位置したヴィードゥブィチ(en)のパトロンであったため、この版では公は神聖化されており、書の後半部の中心人物にされている。この第2版は「ラヴレンチー写本」に保存されている(下記参照)。 第3版はその2年後に完成し、ウラジーミル公モノマフの息子であり後継者である偉大なるムスチスラフに視点を集めている。この版の著者は東ローマ帝国関連の事柄を大幅に訂正・更新したため、ギリシア人ではないかと考えられている。この版は「イパーチー写本」に保存されている(下記参照)。 2種類の写本『原初年代記』の初版は失われていて、現在発見されている最古の転写は「ラヴレンチー写本」および「イパーチー写本」である。よって初版の内容を単語単位で構築するのは難しい。
『原初年代記』は歴史上最も徹底的に研究された文書の一つかもしれない。多数のモノグラフが書かれ、いくども刊行された。その最初は1767年に遡る。1908年にはアレクセイ・シャフマトフが年代記に対する先駆的なテストロジカルな研究を出版した。その後ドミトリー・リハチョフ(en)やその他のソ連の史学者はそれを部分的に修正した。彼らはネストル以前の11世紀中期、ヤロスラフ賢公時に宮廷で編纂された年代記を復元しようと試みた。 引用
評価ヨーロッパの修道士によって書かれた多くの中世年代記と違い、原初年代記は東スラヴ人の古代の歴史に関する唯一の記された証拠である点において極めてユニークである。重要な訂正が『ノヴゴロド第一年代記』(en)によって与えられているとはいえ、キエフ大公国の歴史に関するその包括的な記載はほかの情報源では見られないものである。また、本年代記は古代東スラヴ文学(en)を研究する上での標本としても第1級の価値を持っている。 日本語訳書
このうち1943年初出の除村訳『原初年代記』について、中村喜和は「この年代記の名称の確定」と「古拙で雄勁な文体」の2点で後進にとって記念碑的意義をもち「我が国のロシア研究者にきわめて大きな影響をおよぼした」訳書だとしている(中村 1988, p. 78)。また國本らによる『ロシア原初年代記』についても「ロシア研究における新しい記念碑として歴史にのこるであろう」と評価している(中村 1988, p. 81)。 脚注参考文献
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