古今和歌集真名序『古今和歌集真名序』(こきん わかしゅう まなじょ、旧字体:'眞名序')は、『古今和歌集』に添えられた2篇の序文のうち、漢文で書かれているものの方の名称。通常は単に『真名序』(まなじょ)という。執筆者は紀淑望。 もう一方の序文は紀貫之が仮名で著した『仮名序』(かなじょ、旧字体:假名序)。 解説『古今集』の伝本を見ると、『仮名序』のみで『真名序』がないものや、『真名序』が本集の後ろに置かれているものも多い[1]。また、勅撰八代集を見ると『古今集』以外に真名序が付いているのは『新古今集』のみで、他は仮名序のみかそもそも「序」が置かれていない[2]。 平安時代においては、藤原清輔の『袋草紙』(上巻・故撰集子細)が「紀淑望が仮名序に感嘆して秘かに真名に直して書いた」あるいは「仮名序を書くための土台として紀淑望に書かせた」と書き記して『真名序』そのものを否定的に扱い[2]、『真名序』を「序」から巻末に移したのは自分であることを自ら書き記している[3][4]。一方、藤原公任は『真名序』を重んじて、自撰の『和漢朗詠集』(下巻・「帝王」解)に『真名序』を引用し、顕昭など後世の注釈者の『真名序』の注は公任の説に依拠しているものが多い。また、藤原明衡撰の『本朝文粋』にも『真名序』は所収されている[5]。 昭和初期から中期にかけて、『真名序』と『仮名序』の関係に巡って様々な説が出された[6]。
現在では、『真名序』が最初に書かれた後に紀貫之がそれを元に『仮名序』を著し、後に『仮名序』が正式な「序」として扱われるようになったとみるのが通説になっている[7]。作者については『本朝文粋』や現存する諸本が記すとおり紀淑望とみられるが、紀貫之のような専門歌人が『真名序』の草稿を作成した可能性も否定はできない、とされている[8]。 構成大筋においては『仮名序』と同じであるが、『毛詩』大序や『毛詩正義』・『文選』の序の文章に近い文章になっている。また、王仁や聖徳太子、柿本人麻呂に関するエピソードについては『真名序』と『仮名序』で異なる解釈をしている[9]。更に大友黒主が猿丸大夫の流れを汲むとした逸話は『真名序』独自の記述であり、猿丸大夫に関する最古の記述でもある[10]。最後に平城天皇の時代に侍臣に『万葉集』を撰ばせて[注釈 1]以降、和歌が衰微していることを嘆いた今上(醍醐天皇)が和歌集の編纂を命じた経緯が記しており、その部分は『仮名序』とも共通している。しかし、天皇が最初はこの和歌集を『続万葉集』と命名したが、後日改めて詔書によって改めて『古今和歌集』と命名した経緯は『仮名序』にはない『真名序』独自の記述である[15]。 脚注注釈出典
参考文献
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