古代ギリシアのレスリング
古代ギリシアのレスリング(ギリシャ語でパレー、希: πάλη、pálē)は、古代ギリシアにおける最も人気のあったスポーツの一つで、格闘技(ボクシング、パンクラチオン)の中で最も早く古代オリンピックに正式競技として加わり、五種競技の一種目にもなっていた。 相手の肩や背中や尻を地面に着ける、関節技・絞め技によってギブアップを奪う、競技場より相手を押し出すことによって得点となり、3点を先取したほうが勝者となる。この形式のレスリングにおいて特に重要とされるのが、相手の背後に回り相手の首を絞めるポジションを取ることである。背後を取られた側の選手は、絞めが完全に極まる前に相手の腕をつかんで背中から振り落とすことが求められた。 レスリングは紀元前708年に徒競走以外の競技で古代オリンピックに初めて採用された競技となった。競技会は勝ち抜き形式のトーナメントでただ一人の優勝者が決まるまで行われた。 競技場の広さは1プレスロン(英語: plethron)(約30メートル)四方、あるいは1ストレンマ(英語: stremma)(約1000平方メートル)であった。またこの競技は五種競技のうちの一つとしても行われた。レスリングは神話におけるヘラクレスに代表されるような力強さを、最も表現する競技であるとみなされていた。[要出典] 著名な選手クロトンのミロンは古代ギリシアにおける最も有名なレスラーの一人である。 ある大会では誰も彼に挑みかかろうとしなかったが、彼が競技場に下り立った時足を滑らせて地面に倒れてしまった。それを見た観客は彼が優勝者としてふさわしくないと野次を飛ばしたが、彼は倒れたのは一度のみであり後2回は倒れねば敗北とは認められないとしてその野次をはねつけたという。 メッセネのレオンティスコスもまた有名なチャンピオンとして記録されている。 彼はレスリング技術ではなく、その卓越した指曲げ技術で知られている。 彼は失格となる点まで指を曲げることができ二つの大会をこの技術によって優勝している。スーダ辞典によれば、彼は対戦相手の指を折ることが多かったのでアクロケルシテス(Akrokhersites)と呼ばれた。 ルール![]() ![]() ルールは以下のようになっていた。 [1]
脚注
関連項目
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia