台渡里官衙遺跡群座標: 北緯36度24分38秒 東経140度25分44秒 / 北緯36.41056度 東経140.42889度 台渡里官衙遺跡群(だいわたりかんがいせきぐん)は、茨城県水戸市渡里町にある古代官衙および寺院跡からなる遺跡群。国の史跡に指定されている。指定名称は「台渡里官衙遺跡群 台渡里官衙遺跡 台渡里廃寺跡」[1]。 概要「台渡里官衙遺跡群」は、水戸市渡里町にある3つの遺跡の総称である。国の史跡に指定された遺跡は、台渡里廃寺跡(観音堂山地区・南方地区)と台渡里官衙遺跡(長者山地区)で、指定名称は「台渡里官衙遺跡群 台渡里官衙遺跡 台渡里廃寺跡」である。このうち台渡里官衙遺跡(長者山地区)は常陸国那賀郡の正倉跡。台渡里廃寺跡(観音堂山地区と南方地区)は郡衙周辺寺院である[1]。 2005年7月14日に観音堂山地区と南方地区2つの寺院跡が国の史跡に指定され、2011年9月21日に台渡里官衙遺跡(長者山地区)が追加指定された[1]。 遺構長者山地区出土 軒丸瓦 茨城県立歴史館展示。長者山地区の遺跡は東西約300メートル、南北約200メートルの土地に二重の区画溝(堀)をめぐらし、礎石建ての建物が建っていた[1]。 寺院遺跡である観音堂山地区と南方地区は互いに150メートルほど離れている。前者は飛鳥時代の寺院跡であり、これが平安時代初期に焼亡し、後者の寺院に承継されたとみられる[2]。 観音堂山地区は、南北156メートル、東西126メートルの寺地に金堂、講堂、塔、中門。経蔵(または鐘楼)とみられる礎石建物跡が存在する。7世紀後半に創建され、9世紀後半に焼失したとみられる[2]。 南方地区は、南北210メートル以上、東西220から240メートルの寺地に金堂と塔とみられる礎石建物跡が存在する。上記観音堂山地区の寺院が9世紀後半に焼失した後、当地に再建されたが10世紀初頃には造営が中断している。当該寺院は常陸国那賀郡衙の関連寺院とみられる[2]。 文化財国の史跡
茨城県指定文化財
水戸市指定文化財
脚注外部リンク
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