名古屋市立明倫小学校
名古屋市立明倫小学校(なごやしりつ めいりんしょうがっこう)は、愛知県名古屋市東区出来町にある公立小学校。 概要名古屋市東区のほぼ中央部を学区とする公立小学校であり、1873年(明治6年)の第28義校開校をもってその始まりとしている。太平洋戦争直後の時期に近隣の山口国民学校と統合され、旭丘国民学校・旭丘小学校(旭丘小学校分校)となっていた時期もあったが、1971年(昭和46年)に名古屋市立明倫小学校として分離独立した。 学区は基本的に住宅地の色彩が強い。東区の中でも有数の工場地帯である矢田・大幸地区に隣接しているため、太平洋戦争時の空襲で学区東側の古出来地区を中心に被害を受けており、古新国民学校(当時)の校舎も全焼している。開校120周年にあたる1993年(平成5年)には校舎の全面改築工事が完工している。1991年(平成3年)に竣工した校舎玄関側の西壁面には学区内にある3両の山車が描かれていたが、平成21年の台風により剥がれ落ちてしまい現在は当時の様子をうかがい知ることができない。正面玄関はギリシャのパルテノン神殿を想像させる独特のデザインである。 沿革記述にあたっては明倫小学校公式サイトの他、『校舎竣工・開校120周年記念学校要覧 明倫』[1]・『開学130周年記念学校要覧』[2]等を参照した。 年表
教育方針教育目標として「心身ともに健康で、ゆたかな情操を持ち、自らがもつ力を発揮する子の育成をめざす。」とし、
の育成を目指している[注 1]。 児童数明倫小学校公式サイトの記載から抜粋。(2017年5月1日現在)
教職員数は、校長以下教諭・学校事務職員などを合わせて約20名となっている。 児童数の変遷『愛知県小中学校誌』(1998年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]。
学校行事など学校行事明倫小学校公式サイト内「平成24年度行事予定」から抜粋。特徴としては、授業参観の回数が多い(年度内に6回)ことがあげられ、そのうち1回は通常は休校日である土曜日に授業を行い振替休校日を設定している。
通学区域![]() 当学区は全域にわたって住居表示が実施された[注 2][4]地域である。なお明倫町は住居表示実施に際して学区名が町名とされたものである[注 3]。 2010年(平成22年)国勢調査によると、学区の面積は0.472km2、世帯数は2602世帯、人口は5490人であり、名古屋市東区の9公立小学校区[注 4]においていずれも最小である。2005年国勢調査時においては世帯数2127世帯、人口4623人であり、比較すると世帯数は22.3%増、人口は18.8%増と高い伸びを示している。学区内は基本的に住宅地であり、基幹バスが走る出来町通が東西に走り、JR中央本線や名古屋市道赤萩町線が南北に走っている。鉄道駅は学区内にはない[注 5]。 学区内には3両の山車があり、毎年6月第1土曜日・日曜日に行われる出来町天王祭ではこれらの山車が学区内を練り歩く。3両の山車(鹿子神車・河水車・王羲之車)は、開校120周年に合わせた校舎改築時には校舎西壁面(正面玄関横)に壁画として描かれていた[注 6]が、2012年6月現在では当該壁画は失われ、通常の壁面となっている。 ※記述にあたっては、『名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成22年国勢調査)』行政区別統計表[5]を参照した。 隣接する公立小学校区いずれも名古屋市立の小学校である。
進学先中学校名古屋市では公立学校選択制が導入されていないことから、明倫小学校を卒業した児童の公立中学校進学先は名古屋市立桜丘中学校となる(進学時に学区の変更を伴う転居などがない場合)。 学区内の主な施設カッコ内は当該施設が所在する地区名である。
なお、3両の山車蔵はそれぞれ新出来一丁目(鹿子神車)・出来町三丁目(河水車)・古出来一丁目(王羲之車)にある。 交通脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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