名目的取締役
名目的取締役(めいもくてきとりしまりやく)[1][2][3][4][5]とは、適法な選任手続きを経て取締役に就任しているが、当該会社との間で取締役としての職務を果たさなくてもよいとの合意があるなど、実際には取締役としての職務を行っていない者を指す法理論上の概念である[1][2][3][4][5]。取締役の員数を揃えるため、あるいは社会的地位のある人物を取締役とすることで会社の信用を高める目的で置かれることが多い[4][5][6]。日本では、2005年(平成17年)改正前商法(以下、「旧商法」とする)において、株式会社には最低3名の取締役を置くことが必要であったことから、特に中小企業において多く見られた[1][5]。 名目取締役(めいもくとりしまりやく)[6]、名目上の取締役(めいもくじょうのとりしまりやく)[7]ともいう。監査役の場合は名目的監査役(めいもくてきかんさやく)という[5]。 名目的取締役は、第三者に対する取締役としての責任で問題となることが多く[6][8]、日本の最高裁判所の判例では、取締役として就任している以上は取締役としての監視義務があり、名目的であることをもって第三者に対する取締役としての責任を免れることはできないとする[2][3]。一方、下級裁判所では、この判例を踏まえつつも、個々の事情により名目的取締役の第三者に対する責任を否定する裁判例も少なくない[9][10][11][12][13]。 概説取締役は、いわゆる「平取締役」であっても、自身が直接担当する業務分野や取締役会での議事事項だけでなく当該会社全体の業務執行が適正に行われるようにすることが任務であり、代表取締役や他の役員等の監視義務を負っている[3][14][15][16]。取締役がこの任務を怠ったり、職務執行にあたって悪意または重大な過失によって会社や第三者に損害を与えた場合について、日本の会社法では、第423条第1項および第429条第1項において以下のとおり定めている[16][17]。
ここから、その取締役自身が直接関与しておらず単に他の役員等の不正行為や職務懈怠を見過ごしただけであっても、前述の監視義務を怠った過失があると判断される場合には会社や第三者に対する損害賠償の責任が生じる[18]。
しかし、法的に取締役の地位にある者と実際にその会社で取締役としての職務を行っている者とが一致しない会社も存在し[19]、そのような者について会社法第423条第1項および第429条第1項が責任を負うと定める「役員等」に該当するか否かが議論となることがある[20][21]。このうち、適正な選任手続きを経て取締役に就任し登記もされているが、実際には取締役としての職務を行っていない者を名目的取締役という[22]。これに対し、適正な選任手続きを経ていないかすでに退任しているにもかかわらず取締役として登記されている者を登記簿上の取締役[2][23][24]、選任も登記もされていないが実際には対外的にも対内的にも取締役として職務を執行している者を事実上の取締役[25][26][27]、自身は表立って取締役としての職務を執行していないものの会社の経営に影響力を行使している者や親会社を影の取締役(事実上の主宰者)という[28][29][30]。 会社が名目的取締役を置く理由としては、業界や地域の名士など社会的信用を有する者を取締役(場合によっては代表取締役)とすることで第三者からのその会社の信用を高めることを狙う場合や[22]、本人が何らかの欠格事由に該当して取締役になることができないために身内の者を代わりに取締役とする場合などがある[31]。古くはイギリスで近代的な会社組織が生まれた直後から、すでに会社に対する信用を高めるために貴族などの名前を借りて取締役とする例が見られたが、日本で名目的取締役が多く見られる特有の理由として、旧商法の第255条において株式会社には最低3名の取締役を置くことが必要とされていたことがあった[11][22][32][33]。日本では小規模な個人事業主が社会的信用を得るために株式会社化する事例が多く見られるが、この規定を満たす取締役の確保に苦慮し、名目的取締役を置かざるを得ない状況があると指摘されていた[32]。なお、現行の会社法では非公開会社で取締役会非設置の株式会社であれば取締役は1名で足りることとされたため、現在ではこの理由で名目的取締役を置く必要はなくなっている[22]。 責任第三者に対する責任名目的取締役にその会社が求める職務は、何もしないことである[34]。就任にあたり、無報酬あるいは低額な報酬とする代わりに何もしなくて良いことを条件とし、場合によっては会社および第三者に対する責任を一切負わなくてよいことまで約束することもある[35][36]。こうした合意があったとしても、名目的とはいえ取締役である以上は取締役としての監視義務を免れることはできず、会社法に反するこうした合意は無効であり、第三者に対する責任が免責されるものではないとされる[3][36][37][38]。しかしながら、名目的取締役はそもそも他の役員等の不正行為や職務懈怠を知りうる立場になく、一律に責任を問うことはできないのではないかとする見解もある[34][36][38]。 この点について、日本の最高裁判所は、1980年(昭和55年)3月18日の判決(判例時報971号101頁)で「名目取締役であっても監視義務を負っており、代表取締役の業務執行を監視するにつき何らなすところがなかったことは、その職責を尽くさなかったものと言わなければならない」と判示しており、下級審でも、同様に名目的取締役であることで責任が否定されることはないとする裁判例が多い[22][22][39]。一方で、最高裁の判例を踏まえつつも個々の事情を勘案して、悪意・重過失あるいは相当因果関係がないなどとして名目的取締役の損害賠償責任を否定する裁判例も少なくない[9][10][11][12][13]。ただし、会社の詐欺的取引や違法な投資勧誘に関する事例ついては、取締役に対してより強い監視義務が求められ、名目的取締役に対しても監視義務違反による責任を認める傾向があるとされる[40]。 会社に対する責任名目的取締役の会社に対する責任については、当該会社との間で「一切職務は行わず責任も負わなくてよい」との合意がある場合であっても、会社法が定める役員の責任は強行法規であるためこうした合意は対会社であっても無効であるとされている[41][42]。しかし、第三者に対する責任を追及された下級裁判所の裁判例で「会社内部において考慮されることがあるのは格別、第三者との関係では如何なる意味も効力も持ち得ない」と判示された例もあり、当該会社との間でのこうした合意の有効性については議論がある[42]。事後的に取締役の責任を免除する場合に総株主の同意を必要とすることとの均衡で総株主の同意があればよいとする説や[41][43]、第三者との間では免責を主張できないが対会社では認めるべきとする説もある[41]。 判例
Xは、取引先A社の代表者Yに要請されて同社の株式を引き受けるとともに、A社の取締役に就任した[27][44]。就任にあたって、XはA社に常勤せず経営内容に深く関与しないこととされており、実際にXは一度もA社に出社することはなかった[44]。その後Yは代金支払いの見込みがないままB社から商品を購入したが、結局、同商品の代金を支払うことができずにB社に代金相当額の損害を与えたため、B社は、A社の取締役であったXに対してもYとともに1981年(昭和56年)改正前商法266条の3第1項前段(現行会社法429条1項)に基づく損害賠償を求めた[27][44]。二審は、Xが社外重役として名目的に取締役に就任したに過ぎないこと、Yが他の取締役に要求されて取締役会を招集したり取締役会で他の取締役の意見を取り上げることがなかったことから[44]、Xが取締役としての職責を果たすことは不可能であったとして[36]Xに対する請求を棄却したため、B社は最高裁判所に上告した[44]。 最高裁判所は、取締役の果たすべき職責は会社の内部事情や経緯によって名目的取締役となった者であっても同様であり代表取締役の業務執行を監視する義務を負うと判示した上で[3][22][27][44]、XがA社の取引先の代表者であることやYの要請によってA社の株式の5分の1を保有する株主となってA社の取締役に就任した経緯などから、XのYに対する影響力は少なくなかったと考えられXが取締役としての職責を果たすことが不可能であったとはいえないとして[36][44]、原判決のうちXに対する請求を棄却した部分を破棄して審理を原審に差し戻した[44]。 学説上も、名目的取締役であることをもって取締役としての義務から逃れることはできず、これを怠った場合に第三者に対する損害賠償責任を負うことについて一致している[7]。 裁判例責任を否定したもの下級裁判所においても名目的取締役であることを理由に第三者に対する責任を免れないとして責任を認めた裁判例も多くある[22]。しかし、上記最高裁判所の判例が名目的取締役の影響力によっては監視義務違反に問われないとも考えられることもあって[36]、その後も下級裁判所においては個々の事情に応じて悪意・重過失や相当因果関係を否定するなどして名目的取締役の第三者に対する責任を免責する傾向にあった[7][9][10][34][45]。上記最高裁判所の判決後に名目的取締役の第三者に対する責任を否定した主な裁判例としては以下がある[7][9][45][46]。
免責理由このような名目的取締役の第三者に対する責任を否定する判決で考慮された事情は、以下のように大別できる[34][51]。ただし、こうした理由で名目的取締役の責任を否定する裁判例に対し、学説上は批判も多い[51]。
このほか、取締役としての在任期間の長短を理由にした判決もあるが[55]、在任期間が短いことを理由に責任を否定した判決がある一方で、5年や10年経過していることを理由に責任を否定したものもある[53]。 近時の傾向上記のような名目的取締役の責任を否定する裁判例について、学説では、形式的に最高裁判所の判例を踏まえつつも実質的に骨抜きにするものであるとの批判もなされていた[46]。しかし、2000年(平成12年)前後以降名目的取締役の責任を肯定する裁判例も増加してきており[56]、とりわけ詐欺的商法や違法な投資勧誘によって消費者に損害を与えた事案では、取締役はより高度な監視義務を負うとして責任を肯定する傾向にある[40]。名目的取締役等の責任を肯定した近時の主な裁判例としては以下がある[40][57]。
また、最高裁判所においては、農業協同組合で監事の組合に対する責任が問われた事案で、たとえその組合において業務執行は理事会で代表理事に一任し、他の理事は業務執行に関与せず、監事も理事の業務執行に対する監査を行わない慣行があったとしても、その慣行自体が適正ではないのであるから、監事の責任は軽減されないとして責任を肯定した判例がある[41](最高裁判所2009年(平成21年)11月27日判決、判例時報2067号136頁[41])。 なお、日本において名目的取締役の責任を否定する裁判例が少なくなかったのは、旧商法で株式会社においては取締役会が必置とされ、最低3名以上の取締役が必要とされていたことが背景にあったが[60][61]、会社法の施行により非公開会社で取締役会非設置の株式会社であれば取締役は1名で足りることとされたため[61]、員数合わせのために名目的取締役を選任する必要はなくなった[22][62][63]。このため、名目的取締役の責任が追及される事案は少なくなると考えられているが[63]、逆にこのような中で名目的取締役に就任した者に対しては、第三者に対する責任についてより厳しい判断が下されるようになるのではないかという指摘もある[22][62][63]。 脚注
参考文献
関連項目
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