和泉市立南横山小学校
和泉市立南横山小学校(いずみしりつ みなみよこやましょうがっこう)は、かつて大阪府和泉市にあった公立小学校。 概要市内を南北に流れる槇尾川上流域の横山谷に位置し、旧南横山村を校区としていた。児童数は1977年(昭和52年)の136名をピークに減少を続け、2006年(平成18年)には58名まで落ち込んだ。2006年度には市内で唯一となる小規模特認校制度が導入され、その後は増加に転じ、2017年(平成29年)には94名[1]、2024年(令和6年)5月1日現在では108名となった。それでも、市内の小学校の中では最も少ない人数であった[2]。制度導入当初は地元の児童が多数を占めていたが、南横山地区の少子化や校区外からの通学希望者の増加により、2017年には地元児童27名に対し、特認校制度による児童が67名を占めるなど、構成比に大きな変化が生じていた[1]。 沿革略歴明治維新後、日本では近代的な教育制度が導入され、各地に小学校が設立された。堺県では、村々を単位として学区が編成され、それぞれの学区に郷学校本校とその出張所(分校)が設置された。 小中一貫校への再編地域における人口減少とそれに伴う児童数の減少を背景に、学校の数や配置を見直す取り組みが検討され、その一環として施設一体型小中一貫校の導入が進められた[1]。これにより、和泉市立横山小学校および和泉市立槇尾中学校と統合されることとなり、2025年3月をもって閉校、創立から138年にわたる歴史に幕を下ろした。なお、児童は新設される和泉市立槇尾学園に通学することとなった。 跡地利用従来の南横山小学校は、周囲に緑豊かな森林が広がり、夏には蛍が舞う清流・父鬼川が流れるなど、自然環境に恵まれていた。大阪府内でも唯一、校地内に学校林を有し、植物や昆虫の観察が行われていた。また、夏には校区内を流れる父鬼川での川遊びや水生昆虫の観察など、自然を生かした教育活動が行われていた。1979年(昭和54年)には、文部省からへき地教育研修指定校に指定されたことを契機に、地域学習の一環として「炭焼き体験学習」が始まった。こうした自然環境の中で築かれてきた歴史と伝統を、体験を通して実感することで、「知・徳・体」の調和がとれた、主体性と創造性に富む心豊かな児童の育成が進められてきた。 年表
教育方針教育目標
めざす児童像
通学区域
交通最寄りバス停は、和泉市路線維持バス(父鬼ルート)「南横山小学校前」[注釈 3]。
脚注注釈
出典
プレスリリースなど一次資料
参考文献
関連項目外部リンク
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