国家人民軍の階級国家人民軍の階級では、1956年から1990年の期間、ドイツ民主共和国国家人民軍(東ドイツ軍)で用いられた階級及び階級章について記述する。 概要国家人民軍における階級章のデザインは旧ドイツ国防軍を踏襲していたが、いくつかの修正が加えられた。例えば兵長(Gefreiter)と本部兵長(Stabsgefreiter)の三角章(Armwinkel)が廃され、肩章に取り付ける1本ないし2本のリボンがその役割を担った。一方で伍長(Unteroffizier)、下級軍曹(Unterfeldwebel)、軍曹(Feldwebel)などの階級章は全く同じデザインであった。士官の肩章も基本的なデザインは国防軍を踏襲していたが、ワルシャワ条約機構各国軍の例に漏れずソビエト連邦軍式階級制度を導入した為、星の数や名称に不一致が生じている。下級少尉(Unterleutnant)[1]という階級名は、ドイツでは帝政時代の1898年に廃止されていた名称であった。また、中将(Generalleutnant)の上に位置する兵科大将(General der Waffengattung[2])の階級が廃されたことで、旧国防軍では上級大将を意味したGeneraloberstが大将相当の階級となる。その上には新制度としての上級大将(Armeegeneral)の階級が新設された。 1974年にはソ連に習い候補生(Fähnrich)を新設し、5年後には上級候補生(Oberfähnrich)、本部候補生(Stabsfähnrich)、本部上級候補生(Stabsoberfähnrich)に細分化された。これらは上級下士官(Feldwebel)、あるいは士官(Offizier)と見なされた。彼らの階級章は兵用の肩章の中心に銀色のリボンを通したもので、星1つの候補生から星4つの本部上級候補生まで、星が1つずつ追加されていく。また、この星は当初銀色だったが、1979年以降は金色になった。士官候補生は制服の袖に候補生記章(Ärmelabzeichen Fähnrichlaufbahn)を取り付けた。士官候補生は儀礼服を着用する際、士官用制服と剣帯を着用し、銀の短剣を吊った。これは1977年のパレードで初めて装備された。 ![]() 尉官の肩章は銀色のショルダーボードで、星は金色である。下級少尉は1つ星、少尉(Leutnant)は縦並びの2つ星、中尉(Oberleutnant)は三角形型に配された3つ星である。大尉(Hauptmann)は中尉の三角形に1つを加えた4つ星であった。佐官の肩章は銀モールのショルダーノッチで、星は金色である。少佐(Major)は1つ星、中佐(Oberstleutnant)は2つ星、大佐(Oberst)は3つ星であった。将官の肩章は銀色のラインを施した金モールのショルダーノッチで、星は銀色である。少将(Generalmajor)は1つ星、中将(Generalleutnant)は2つ星、大将は3つ星、上級大将が4つ星である。さらに上位のドイツ民主共和国元帥(Marschall der DDR)は戦時、あるいは国防省の特別な命令の元で任命されるとされた。共和国元帥の階級章は将官の肩章にルビーを埋め込んだ金色の星を1つ飾り付ける。軍楽隊では、古いプロイセンの伝統に従い、「ツバメの巣」(Schwalbennester)と通称される肩飾りを付けた。 地上軍、航空軍、国境警備隊の階級及び階級章の一覧地上軍、航空軍、国境警備隊は同一の階級章及び階級呼称を用いた。相当するNATO階級符号も併記する。 将官(Generale)将官はいずれも同一の襟章を着用した。 将官の階級は、ドイツ国防軍およびソビエト連邦軍と同様に上級大将・大将・中将・少将の四階級制で、准将は存在しない。
将校団(Offizierkorps)
士官候補生(Fähnrich)候補生学校生徒を除く士官候補生は肩に候補生記章を着用した。
下士官(Unteroffiziere)
下級下士官及び兵(Mannschaftsdienstgrade)
人民海軍の階級及び階級章の一覧人民海軍の階級章及び階級呼称。相当するNATO階級符号も併記する。 提督(Admirale)提督はいずれも同一の襟章を着用した。肩章と袖章で階級が識別され、提督らの船舶搭乗時には階級ごとの指揮官旗(Kommandoflagge)が掲げられる。
将校団(Offizierkorps)肩章と袖章で階級が識別される。袖章のラインの上には兵科章を付ける。
士官候補生(Fähnriche)候補生学校生徒を除く士官候補生は肩に候補生記章を着用した。
下士官(Bootsleute)肩章で階級が識別される。肩章の中心には兵科章を付ける。
下級下士官及び兵(Mannschaftsdienstgrade)
脚注
関連項目参考文献
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