国府村 (兵庫県)

こくふむら
国府村
廃止日 1955年3月25日
廃止理由 新設合併
国府村八代村、日高町、三方村西気村清滝村日高町
現在の自治体 豊岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
城崎郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,705
国勢調査1950年
隣接自治体 豊岡市、城崎郡日高町、八代村、奈佐村出石郡室埴村
国府村役場
所在地 兵庫県城崎郡国府村大字堀
座標 北緯35度29分30秒 東経134度48分02秒 / 北緯35.49175度 東経134.80047度 / 35.49175; 134.80047 (国府村)座標: 北緯35度29分30秒 東経134度48分02秒 / 北緯35.49175度 東経134.80047度 / 35.49175; 134.80047 (国府村)
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国府村(こくふむら)は、兵庫県城崎郡にあった。現在の豊岡市日高町の東端、山陰本線国府駅の周辺および上佐野にあたる。「国府」の名の通り、当地が但馬国の中心地であったと伝えられる地域である[注釈 1]

地理

歴史

昭和の大合併においては、北但地方事務所長より八代村・日高町・三方村・西気村・清滝村・国府村の6町村の合併案が示された。国府村以外の5町村は合併事務を順調に進めたが、国府村は豊岡市への合併を希望する北部集落と日高町への合併を希望する南部集落とで対立した。村当局は「絶対分村はしない」ことを前提に具体的検討に入ったが、意見対立が激しく1955年(昭和30年)2月11日に予定していた住民投票も実施できず、結局同年2月17日の村議会は意見未調整のまま6町村合併案に賛成し日高町との合併を議決した[注釈 2]。これに反発した北部集落は県や県議会に激しい陳情活動を行ったが、県の仲裁により分村問題は新町で考慮することとして6町村の合併が成立した。しかし話し合いは進展せず対立は激しさを増し、北部集落側は町税滞納の強硬手段に出たため、事態を憂慮した県は1957年(昭和32年)3月7日に合併調整委員の調停に付し北部集落代表者に分町を断念するよう説得、八代川の改修と道路整備、中学校の存置などを条件として日高町に残留することになった。しかし北部の中でも上佐野・納屋集落については分町やむなしとの調停委員の意見もありなお豊岡市への編入を強く主張したため日高町と県も両集落の分離を認め、1958年(昭和33年)1月1日、両集落は境界変更により豊岡市に編入されることになった[1][2]

交通

鉄道路線

脚注

注釈

  1. ^ 但馬国府は延暦23年(804年)に旧日高町(1955年合併前の日高町)域にある現在の祢布ヶ森遺跡公園付近(但馬国府・国分寺館からも近い)に移されたことが明らかになっていて、それ以前に当地に但馬国府があったかについては説が分かれ明らかになっていない。
  2. ^ 国府村以外の5町村は国府村の態度如何にかかわらず合併する意向をすでに固めていて、その県議会上程が3月15日を予定していたため、国府村当局としてもこれ以上の遅延は許されない状況に追い込まれていた。

出典

  1. ^ 『日高町史』 p.699-717
  2. ^ 『豊岡市史』 p.603-604

参考文献

  • 豊岡市史編集委員会編集『豊岡市史』下巻 昭和62年3月1日発行
  • 日高町史編集専門委員会編集『日高町史』 昭和58年1月15日発行
  • 角川日本地名大辞典 28 兵庫県

関連項目

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