埼玉県農業技術研究センター久喜試験場![]() 埼玉県農業技術研究センター久喜試験場(さいたまけんのうぎょうぎじゅつけんきゅうせんたーくきしけんじょう)は、埼玉県立の農業試験場である埼玉県農業技術研究センターの久喜市に所在する試験場である。 概要当試験場はもとは埼玉県園芸試験場(さいたまけんえんげいしけんじょう)、通称埼玉園試(さいたまえんし)といい園芸作物の品種育成、営農技術などの研究開発を担っていたが、組織改編と施設再編を経て現在は果樹(主にナシやブドウなど)の試験研究開発を行う果樹担当と、統合環境制御システムを導入したトマト栽培の技術実証・普及を行う次世代技術実証普及担当、関係各所との連携・技術普及・普及指導員の育成に関わる研修を行う農業革新支援担当(果樹)が置かれている。農林総合研究センター園芸研究所時代の設置目的は「園芸作物の品種の育成及び選定を行う」・「園芸作物の営農技術及び商品化に関する研究開発を行う」・「園芸作物に関する研究開発等を行う」とされていた。[1] 設置された経緯として、1955年(昭和30年)頃から関係団体より園芸専門の総合試験場の設置を望む声が上がり、1956年(昭和31年)には埼玉県議会においても設置の議論が行われていた。園芸振興審議会では1961年(昭和36年)に「本県農業に占める果樹園芸の比重は、今後非常に高くなることが予想されるので、そ菜・果樹を専門とする試験研究機関を独立強化する必要がある」との答申が行われた。こうした流れもあり、埼玉県は当時専門別に設置されていた試験場を統合・組織改編し総合試験場にしようと考え、上尾市に設置されていた農業試験場を熊谷市の玉井支場(現:玉井試験場、水稲育種担当・水田高度利用担当が設置されている)へと移転したが、園芸関係者の要望があり園芸部は独立分離され、「園芸試験場」として南埼玉郡久喜町(現:久喜市)に設置されることとなった。これを受け1963年(昭和38年)に13haの用地買収が行われている。現在地の庁舎が整備されるまでは1965年(昭和40年)8月より旧清久中学校の校舎を改修し仮庁舎として上尾市の旧農業試験場から移転してきていたが、1967年(昭和42年)に開場式が現在地で行われ、以降順次「講堂・研修館」・「作業室」・「ガラス室」・「ビニールハウス」が整備されていった。この発足当時の組織は庶務部・そ菜花き部・果樹部・科学部・病虫部および越谷支場・入間川支場・秩父支場が置かれ、職員数は66名が配置されていた。この後、越谷支場は1967年(昭和42年)に、秩父支場は1968年(昭和43年)に廃止となった。1971年(昭和46年)には330㎡の温室が建設され、700種を数える熱帯植物が集められていた。なお、上尾市に所在した旧農業試験場の場所は1967年(昭和42年)に行われた埼玉国体の主競技場となった。[2] 沿革
所在地アクセス
脚注
関連項目外部リンク
座標: 北緯36度5分15.4秒 東経139度38分10.3秒 / 北緯36.087611度 東経139.636194度 |
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