塩次伸二
塩次伸二(しおつぐしんじ, 1951年3月5日 – 2008年10月19日)は、日本のギタリスト。ウエスト・ロード・ブルース・バンド創設メンバーのひとり。 来歴1971年、塩次は同志社大学の軽音楽部に在籍していた永井"ホトケ"隆、小堀正に山岸潤史と松本照夫を加え、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを結成[3][2]。彼らは翌1972年には、B.B.キングの大阪公演のオープニング・アクトを務めた[2]。 1975年、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを脱退し、ドラマーの井上茂のバンド、しいちゃんブラザーズやハーモニカ奏者の入道らと結成したダウンホーマーズなどで活動する。ダウンホーマーズは1976年にアルバム『Oh Yeah!』をリリースした[4] 1984年には、ウエスト・ロード・ブルース・バンドがオリジナル・メンバーで再結成し、アルバム『ジャンクション』をリリースした。 1987年、初のソロ・シングル「ビッグ・タウン・ブルー」をリリース。 1990年、ピアニスト、有吉須美人(アリヨ)のバンド、アリヨズ・シャッフルに参加。シカゴのヴァレリー・ウェリントンをヴォーカリストに迎えて、日本をツアーした[5]。このときの高円寺JIROKICHIのライヴはアルバム『Shuffle』として1991年にリリースとなった[6]。 1993年、チャールズ・アーランドと酒井潮という2人のオルガン奏者を迎え、塩次伸二ブルーヴィー・ミーティン名義で『Cookin' With B-3』をリリース。4ビート、ジャンプからラテン・サウンドまで展開した[7]。 2001年にはNacomiが塩次のバンドに加入し、2年間活動を共にしている。塩次は、彼女の2007年のデビュー・アルバム『Grabbed My Heart』に客演した[8]。 2001年以降、ポール・ジャクソン、マーティー・ブレイシー、小島良喜をメンバーとしたBAD BOYS BLUES BAND、セッション・バンドのブルース・アンボセリなどでも活動している[2]。 2007年には、ソロ名義としては初のアルバムとなる『Can't Stop Playin' The Blues』をリリース。同年、ウエスト・ロード・ブルース・バンド時代からの盟友、山岸潤史とのニューオーリンズ録音の共演作『TOGETHER AGAIN ~Blues in New Orleans』もリリースしている[9]。 2008年10月18日、公演のため訪れた栃木県佐野市で公演前に体調が急変、翌10月19日、同市の病院にて心不全のため死去した。57歳だった[10]。かねてより心臓を患っており、入退院を繰り返しつつ音楽活動を続けていた[11]。 ディスコグラフィーウエスト・ロード・ブルース・バンド
ソロ作など
脚注
外部リンク |
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