多賀城市立多賀城小学校
多賀城市立多賀城小学校(たがじょうしりつ たがじょうしょうがっこう)は、宮城県多賀城市伝上山一丁目にある公立小学校。明治時代の創立である。現在の校舎は2007年に完成した。 沿革歴史明治・大正期1873年(明治6年)7月15日、笠神村黄龍山西園寺を仮校舎とし、「第一中学区三十五番笠神天真小学校」の校名で誕生した。 学制に基づき1875年(明治8年)、宮城県では「第一中学区(64の小学区で構成)」に仙台、宮城郡、黒川郡、加美郡として、第二中学区(103の小学区で構成)に志田郡、遠田郡、桃生郡、牡鹿郡として、第三中学区(63の小学区で構成)に伊具郡、刈田郡、柴田郡、名取郡、亘理郡、宇田郡とした。第一中学区の64校中、現在の多賀城市域で開校した小学校は多賀城小学校のほか「二十七番山王小学校」(南宮村慈雲寺を仮校舎に7月開校)と「二十八番高崎小学校」(高崎村化度寺を仮校舎に同年7月7日開校)があった[1]。 1879年(明治12年)3月、高崎小学校が廃校となり八幡小学校に合併、5月には笠神天真小学校も西園寺の仮校舎から西ノ神の新校舎に正式移転した。 1884年(明治17年)3月、笠神小学校と八幡小学校の合併に伴い、八幡小学区のうち浮島が山王小に八幡、高崎が笠神小に編入され、学区は次のとおりとなった。
上記の学区は1961年(昭和36年)の多賀城市立多賀城東小学校開校まで基本的に変化はなかった。またこの年、校名が「笠神中等小学校」となる。
新校舎移転後、1926年(大正15年)までの間は生徒の増加や小学校令改正にともない校舎の増改築や用地の拡張がはかられ、多賀城小学校の原形はこの時代に概ね作られている。 ※「二十八番高崎小学校」は1879年(明治12年)3月に廃校となり、現存している小学校は現在において、多賀城小学校と山王小学校である。 昭和期
年表
通学区域進学先中学校脚注
参考文献
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