大勲位菊花大綬章 (だいくんい きっか だいじゅしょう、英訳名 : Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章 の一つ。1876年 (明治 9年)12月27日 に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾 に次ぐ勲章であり、天皇 や国家元首 以外の生存者叙勲としては事実上最高位となる。
概要
大勲位菊花大綬章を着用した昭和天皇 。
大勲位菊花大綬章は、1876年 (明治 9年)12月27日、日本の最高位勲章として、旭日章 に次いで明治初期に制定された勲章である。イギリスのガーター勲章 やスウェーデンのセラファン勲章 (英語版 ) 、またデンマークの象勲章 など、当時王室 国家の多くが、普通勲章の上に制定していた最高位勲章の類に倣い制定されたものである。旭日大綬章 または瑞宝大綬章 を授与するに値する以上の功労のある者に与えられる上位勲章として桐花大綬章 (旧称は勲一等旭日桐花大綬章 )が制定されているが、大勲位菊花章は更にその上位に位置する。皇室儀制令 で定められていた宮中席次 では、大勲位帯勲者は内閣総理大臣 などの現職高官をも上回る序列第一類に属し、大勲位菊花章頸飾 受章者に次ぐ第二位であった。2003年 (平成 15年)11月3日に行われた栄典 制度改正後も、以前と変わらず日本の最高勲章の一つとして運用されている。
意匠
菊花大綬章のデザインは、日本の国旗 である「日の丸 」を象徴する赤いガラスの日章[ 注釈 2] を中心に、光線(旭光)放射状にが伸びるといった、旭日章をおおよそ踏襲した物であるが、上下斜めの八方向に旭光が伸びる旭日章に対して、菊花章の旭光は縦横の四方向のみである。また全ての旭光部分には白色七宝 で彩色が施されている。この四方に伸びた旭光を囲むように、黄色と緑色の七宝で彩色された菊花 と菊葉がそれぞれが配されており、全体的なシルエットは円形に近い。鈕(「ちゅう」。章と綬の間にある金具)は菊花を象っている。正章・副章を含めて全ての地金は純銀で、正章は全体が金鍍金で仕上げられている。副章もほぼ同様の意匠であるが、中心部の旭光には、四方に伸びる外側の旭光に加え、内側に旭日大綬章の副章と同様の八方向に伸びる旭光が重ねられている。章の大きさは、正章の直径は76mm、副章の直径は91mm。旭日章と同様に、正章の裏面は表面同様の刻印と七宝が施されている。
他の勲章が「勲功旌章」の刻印を持つ中で、菊花章 に限っては「大勲旌章」の文字が刻まれており、菊花大綬章においては正章の鈕の裏面、また副章の裏面中央に刻印がある。
綬は赤の織地の両脇を紫が縁取る紅紫織。制定当初は男性用の綬は117mm幅と定められていたが、平成に入って他の勲章の大綬と同じく100mm幅に変更されている。女性の外国元首 などへ贈与する場合は宝冠大綬章 と同じ79mm幅の大綬が用いられる[ 注釈 3] 。大綬は右肩から左脇に垂れ、正章を掛ける。副章は左胸に佩用する。栄典制度改定以前に女性国家元首 などに贈られた際には、宝冠章 の大綬と同様の蝶結状のロゼッタを持つ大綬が用いられていたが、現在では大きさこそ異なるものの、男性用と同じ扇型を合わせた円形のロゼッタを持つ物が用いられている。
栄典制度改正による意匠の変更
大勲位菊花大綬章は栄典制度改正後も、制定以来の意匠を保持している。製造個体差以外ほぼ変わらないと言って良い。
戦前などの古い写真では、現時のモノクロ処理の画像とは異なり綬の紫の部分が白く写っている物が多いが、これは当時使用していたフィルムの色反応によるもので、大綬の色味は制定以来変わっていない。
運用
中曽根康弘 の内閣・自由民主党合同葬にて供えられた大勲位菊花大綬章(中央右)(2020年 10月17日 、グランドプリンスホテル新高輪 にて)。
旭日章 、宝冠章 、瑞宝章 というこれら三種の普通勲章の上位勲章として桐花章 が制定されているが、菊花章はその桐花章 を授与するに値するより更に優れた功績を国家にもたらした者が対象とされる。日本国憲法 施行後、一般国民への叙勲は、約5年以上内閣総理大臣 を務めた者、最高裁判所長官 を長年務め多大な功績があった人物などに授与される例が多いが、戦後の生存者叙勲再開後では、生前授与されたのは総理大臣経験者3名と非常に少ない。没後叙勲でも、1974年 の田中耕太郎 を最後に総理大臣経験者以外の授与例はない。
戦前は皇族・王公族 のほか、総理大臣経験者に限らず陸海軍・枢密院 などで活躍した者にも授与された。
2003年 11月2日までは、「大勲位」という勲等と「菊花大綬章」という勲章に分けられていたが、翌11月3日からの栄典 制度改正適用により勲等が廃止され、「大勲位菊花大綬章」が勲章の名称となった。なお、改正時の政令附則により、改正前に授与された者は改正後も引き続き勲等・勲章とを分けた状態で有しているものと扱われる。
同気勲章について
1959年 、明仁親王・正田美智子の結婚
当時制定されていた勲章佩用式<明治21年勅令第76号>第一条で
「但菊花章ヲ賜ヒタル者ハ旭日桐花大綬章瑞寶一等章ヲ併セ佩フルコトヲ得」
と定められており、同気勲章という慣例的制度として菊花章受章者は同章の受章と同時に勲一等旭日桐花大綬章 及び勲一等瑞宝章 を授与された。皇族などの旧写真において勲一等旭日桐花大綬章 や勲一等瑞宝章 の授章記録の無い者であるにもかかわらず、これら三章の併佩が見られるのはこのためである。この際の勲一等旭日桐花大綬章 並びに勲一等瑞宝章 の受章者欄には記載されることはない。またこの三章併授の例は国内のみで見られる物であって、海外要人(元首)に対する儀礼叙勲等で行われた記録は無い。
現在ではこのような併授は行っておらず、上記の条文がどの時点まで有効であったかを確実に記す資料(法的な根拠の証明)は存在しない。今のところ、1959年 (昭和34年)4月に、皇太子 明仁親王(現:上皇明仁 )の成婚時に正装写真が上記3章を併せて佩用されたのが最後の写真資料になっている。
映像資料では翌1960年 (昭和35年)にネパール のマヘンドラ国王 夫妻を国賓として迎えた際の宮中晩餐会にて3章併佩の皇太子明仁親王(現:上皇明仁)の姿が確認されている。
1964年 (昭和39年)に生前者叙勲が再開されたことにより、戦後初となる菊花大綬章を受章した吉田茂 は皇居での親授式後に撮影された写真にて勲一等旭日大綬章 を併佩した姿が確認できるため、少なくともこの時点にはすでに同気勲章が無くなっている。
外国人に対する儀礼的叙勲での運用
皇族 の外遊や国賓 としての公式に来日する国家元首 レベル以上の者に贈られる。相手国の元首 の称号の格に対して最高の勲章が交換されるか、もしくは互いに同等の高位な勲章を交換するのが外交儀礼 である。近年では、例えば2011年 1月11日 に日本を公式訪問したウクライナ のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ 大統領 、フランス のフランソワ・オランド 大統領 へ授与されている。
菊花章については主に君主 、大統領 などの国家元首 がその対象で、特に国王 ・大公 ・首長 などの君主については、同時に大勲位菊花章頸飾 が授与されることが多い。また公式訪問の際に同席する、元首 以外の王皇族についても、男子の場合はおおむね大勲位菊花大綬章が贈られる。
女性王族については、勲一等宝冠章 (現在の宝冠大綬章)が授与されてきたが、例えばマルグレーテ2世 (デンマーク女王) のように女王 などの称号 で女性が君主である場合や、コラソン・アキノ (フィリピン大統領)のように女性自身が大統領 として国家元首 である場合は、大勲位菊花大綬章が授与される[ 注釈 4] 。また近年ではスウェーデン のヴィクトリア王太子 など、王太子 が女性の場合でも同様である。
皇族に対する叙勲
皇室典範 (いわゆる旧皇室典範)の法体系に属する「皇族身位令 」(明治43年皇室令第2号→昭和22年廃止)の規定により、皇族男子に対する叙勲が行われていた。
第九条 皇太子皇太孫ハ満七年 ニ達シタル後大勲位 ニ叙シ菊花大綬章 ヲ賜フ
第十一条 親王ハ満十五年 ニ達シタル後大勲位 ニ叙シ菊花大綬章 ヲ賜フ
皇族身位令が廃止された1947年(昭和22年)以降は、慣例として旧皇族身位令をおおよそ踏襲し、皇太子が18歳(皇室典範 )、親王 が20歳(民法 )でそれぞれ立太子 又は成年を迎えた際に授与されている。
受章者一覧
皇族・王公族
大日本帝国憲法 下
日本国憲法 下
受章者名
主な官職・役職
受章日
備考
皇太子明仁親王 (第125代天皇)
皇族
1952年(昭和27年)11月10日
1989年(昭和64年)1月7日、皇位継承に伴い菊花章頸飾を佩用。
正仁親王 (常陸宮 )
皇族
1955年(昭和30年)11月28日
受章時は義宮
寬仁親王
皇族
1966年(昭和41年)1月5日
宜仁親王 (桂宮)
皇族
1968年(昭和43年)2月27日
受章時は宮号なし
憲仁親王 (高円宮 )
皇族
1974年(昭和49年)12月29日
受章時は宮号なし
徳仁親王 (第126代天皇)
皇族
1980年(昭和55年)2月23日
受章時は浩宮 2019年(令和元年)5月1日、皇位継承に伴い菊花章頸飾を佩用。
文仁親王 (秋篠宮 )
皇族
1985年(昭和60年)11月30日
受章時は礼宮
一般受章者
明治時代
受章者名
主な官職・役職
受章日
備考
三条実美
太政大臣
1882年(明治15年)4月11日
正一位
岩倉具視
右大臣
1882年(明治15年)11月1日
贈正一位
島津久光
左大臣
1887年(明治20年)11月5日
中山忠能
神祇伯兼宣教長官
1888年(明治21年)5月14日
伊藤博文
内閣総理大臣
1895年(明治28年)8月5日
九条道孝
貴族院議員
1900年(明治33年)5月10日
黒田清隆
内閣総理大臣
1900年(明治33年)8月25日
没後叙勲
大山巌
参謀総長、元老
1902年(明治35年)6月3日
西郷従道
元老
1902年(明治35年)6月3日
山縣有朋
内閣総理大臣
1902年(明治35年)6月3日
井上馨
元老
1906年(明治39年)4月1日
桂太郎
内閣総理大臣
1906年(明治39年)4月1日
東郷平八郎
海軍軍令部長、東宮御学問所総裁
1906年(明治39年)4月1日
徳大寺実則
内大臣兼侍従長
1906年(明治39年)4月1日
松方正義
内閣総理大臣
1906年(明治39年)4月1日
野津道貫
第4軍司令官、元帥
1908年(明治41年)10月6日
大正時代
受章者名
主な官職・役職
受章日
備考
伊東祐亨
軍令部長、元帥
1913年(大正2年)11月10日
大隈重信
内閣総理大臣
1916年(大正5年)7月14日
西園寺公望
内閣総理大臣
1918年(大正7年)12月21日
寺内正毅
内閣総理大臣
1919年(大正8年)11月3日
没後叙勲
原敬
内閣総理大臣
1921年(大正10年)11月4日
没後叙勲
樺山資紀
台湾総督、枢密顧問官
1922年(大正11年)2月8日
没後叙勲
加藤友三郎
内閣総理大臣
1923年(大正12年)8月24日
没後叙勲
長谷川好道
朝鮮総督
1924年(大正13年)1月28日
没後叙勲
加藤高明
内閣総理大臣
1926年(大正15年)1月28日
没後叙勲
李完用
大韓帝国内閣総理大臣
1926年(大正15年)2月12日
川村景明
軍事参議官兼東京衛戍総督、元帥
1926年(大正15年)4月28日
没後叙勲
昭和時代(戦前)
受章者名
主な官職・役職
受章日
備考
奥保鞏
参謀総長、元帥
1928年(昭和3年)11月10日
山本権兵衛
内閣総理大臣、海軍大臣
1928年(昭和3年)11月10日
井上良馨
海軍参謀部長、元帥
1929年(昭和4年)3月22日
没後叙勲
上原勇作
参謀総長、陸軍大臣、教育総監、元帥
1933年(昭和8年)11月8日
没後叙勲
斎藤実
内閣総理大臣、内大臣
1936年(昭和11年)2月26日
没後叙勲
高橋是清
内閣総理大臣、大蔵大臣
1936年(昭和11年)2月26日
没後叙勲
徳川家達
貴族院議長
1940年(昭和15年)6月5日
没後叙勲
金子堅太郎
枢密顧問官
1942年(昭和17年)5月16日
没後叙勲
清浦奎吾
内閣総理大臣
1942年(昭和17年)11月5日
没後叙勲
汪兆銘
中華民国 南京国民政府 行政院長(首相 )
1942年(昭和17年)12月22日
山本五十六
連合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官
1943年(昭和18年)4月18日
没後叙勲
一木喜徳郎
枢密院議長、宮内大臣
1944年(昭和19年)12月17日
没後叙勲
昭和(戦後)および平成・令和時代
受章者名
主な官職・役職
受章日
備考
鳩山一郎
内閣総理大臣
1959年(昭和34年)3月7日
正二位、没後叙勲
吉田茂
内閣総理大臣
1964年(昭和39年)4月29日
従一位 1967年(昭和42年)10月20日、菊花章頸飾を没後追贈
池田勇人
内閣総理大臣
1965年(昭和40年)8月13日
正二位、没後叙勲
ヨシップ・ブロズ・チトー
ユーゴスラビア大統領
1968年 (昭和43年) 4月8日
東側諸国 の元首で、唯一の受賞者。
佐藤榮作
内閣総理大臣
1972年(昭和47年)11月3日
従一位 1975年(昭和50年)6月3日、菊花章頸飾を没後追贈
田中耕太郎
最高裁判所長官
1974年(昭和49年)3月1日
1960年(昭和35年)11月3日、文化勲章 を受章 正二位、没後叙勲
大平正芳
内閣総理大臣
1980年(昭和55年)6月12日
正二位、没後叙勲
岸信介
内閣総理大臣
1987年(昭和62年)8月7日
正二位、没後叙勲 1967年(昭和42年)4月29日、勲一等旭日桐花大綬章 を受章
三木武夫
内閣総理大臣
1988年(昭和63年)11月14日
正二位、没後叙勲
福田赳夫
内閣総理大臣
1995年(平成 7年)7月5日
正二位、没後叙勲
中曽根康弘
内閣総理大臣
1997年(平成9年)4月29日
従一位[ 注釈 6] 2019年(令和元年)11月29日、菊花章頸飾を没後追贈
小渕恵三
内閣総理大臣
2000年(平成12年)5月14日
正二位、没後叙勲
竹下登
内閣総理大臣
2000年(平成12年)6月19日
正二位、没後叙勲
鈴木善幸
内閣総理大臣
2004年(平成16年)7月19日
正二位、没後叙勲
橋本龍太郎
内閣総理大臣
2006年(平成18年)7月1日
正二位、没後叙勲
海部俊樹
内閣総理大臣
2022年(令和 4年)1月9日
正二位、没後叙勲 2011年(平成23年)6月24日、桐花大綬章 を受章
安倍晋三
内閣総理大臣
2022年(令和4年)7月8日
従一位、没後叙勲大勲位菊花章頸飾 同時追贈
脚注
注釈
^ 1918年(大正7年)、西園寺公望 に授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02114100)。
^ 明治の制定当初のごく初期の物のみ中心も七宝
^ マルグレーテ女王のように体格が大きい場合は、事前の打ち合わせで綬を長めにしたり幅を男性用と同じにすることもある
^ 勲章制定のごく初期には、リリウオカラニ (ハワイ女王)・オランダ女王ウィルヘルミナ など、女王の称号を持つ国家元首でも勲一等宝冠章(宝冠大綬章)であった
^ 後に東伏見宮 を創設する。
^ 存命中に受けた人物であるため、マスコミでは中曽根を「大勲位」と呼んでいた。なお中曽根は戦前に位階(従六位)を受けていた。
参考文献
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三省堂企画監修『勲章・褒章辞典』日本叙勲者顕彰協会、2001年(平成13年)8月
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婦人画報 増刊『御大典記念 皇族画報』、東京社、1928年(昭和3年)10月
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『宮家の時代 セピア色の皇族アルバム』、鹿島茂 解説、2006年(平成18年)10月、ISBN 4-02-250226-6
大久保利謙 監修『旧皇族・華族秘蔵アルバム 日本の肖像 第十二巻』、毎日新聞社、1991年(平成3年)2月
『歴史読本 特集 天皇家と宮家』、新人物往来社、2006年(平成18年)11月号
平山晋『明治勲章大図鑑』、国書刊行会、2015年(平成27年)7月
外部リンク