大泉実成
大泉 実成(おおいずみ みつなり、1961年11月16日 - )は、日本のノンフィクションライター。 略歴東京都新宿区出身[1]。小学校から高校まで茨城県日立市で育つ。茨城県立日立第一高等学校、中央大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科修了[2][3]。日立市在住。 少年の頃、エホバの証人の信者だった経験を持ち、1985年におきた信者による「輸血拒否」による少年死亡事件に衝撃を受け、関係者に取材して、処女作『説得-エホバの証人と輸血拒否事件』を刊行。1989年、講談社ノンフィクション賞を受賞[1]。同著は後にビートたけし主演でテレビドラマ化された。 その後も、対象に密着したノンフィクション作品を発表。『麻原彰晃を信じる人びと』等のハードなものから、『消えたマンガ家』、『東京サイテー生活-家賃月二万円以下の人々』等ライトなサブカルチャーものまで幅広い著作がある。 1995年、『宝島30』(宝島社)よりエホバの証人の輸血拒否事件取材の際に研究生として1年間潜入取材した実績を買われ、オウム真理教に潜入、90日間の修行体験をし、その結果クンダリニー上昇を経験したり、断酒・禁煙ができ、また性欲がなくなる経験をする[4]。 1999年、両親が東海村JCO臨界事故で被曝したことから[5]、被害者の会の事務局長を務める。 大泉実成と水木しげる
取材で水木しげると出会い、その人柄に感銘を受けたことから、自ら「世界は水木しげるを中心に回っている」と唱える「水木原理主義者」であると称している。同主義の唯一の教義は『水木しげるのマンガを持って南の島でゴロゴロすること』とされている。大泉は水木しげるから「妖怪びろーん」というホーリーネームを貰っている。 大泉は水木しげるの妖怪探検のパートナーとして、マレーシア、メキシコ、オーストラリアをともに旅し、水木が絵、大泉が文章を書くというスタイルで著書を発表している。 水木しげるの画業50周年記念愛蔵版『水木しげる80の秘密』にも寄稿している。 著作
共著
水木しげるとの共著
テレビ出演脚注
外部リンク
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