大洗磯前神社
額「大洗磯前神社」は熾仁親王の書 ![]() 祭神の降臨地と伝わる 大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は、茨城県東茨城郡大洗町にある、大己貴命と少彦名命を祀る神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 概要東に太平洋を臨む大洗海岸の丘上に社殿が鎮座する。祭神が降臨したと伝えられる磯に、波を受けながら建つ「神磯(かみいそ)の鳥居」は当社および大洗町の象徴となっており、初日の出でも有名である[1][2]。大洗美術館には、神磯の鳥居を額装された絵に見立てて眺められる「風景窓画」が設けられている[3]。 那珂川対岸の茨城県ひたちなか市にある酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、両社で一つの信仰を形成している。 中世には戦乱で荒廃し、江戸時代になって水戸藩第2代藩主の徳川光圀と次代の綱條により再興した。本殿、拝殿、随神門が茨城県・大洗町の文化財に指定されている。 祭神
国造りにおいて『古事記』『日本書紀』『風土記』などの神話では大己貴命と少彦名命の2神が併せて登場することから、当社に限らずこの2神の組み合わせで祀る神社は多い。また、当社では大己貴命を七福神の大黒天とも見なしている。 歴史創建『日本文徳天皇実録』によると、平安時代初期の斉衡3年(856年)に常陸国鹿嶋郡の大洗磯前に神が現れたとされる。
そして、大己貴命(大奈母知)が大洗に、少彦名命(少比古奈命)が酒列に祀られ、両社の創建となったと伝えられている。 概史平安時代中期の『延喜式神名帳』には「常陸国鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩明神社」と記載され、名神大社に列している。 永禄年間(1558年-1570年)には戦乱で荒廃した。江戸時代前期の元禄3年(1690年)、水戸藩主の徳川光圀により造営が起工され、綱條の代で現在の本殿、拝殿、随神門が完成した。 明治18年(1885年)、近代社格制度において国幣中社に列した。現在では公称を「大洗磯前神社」としている。 神階『日本文徳天皇実録』によると、天安元年8月7日(857年8月30日)に官社となり、同年10月15日(11月5日)に「薬師菩薩名神」の号を授かった[4]。 境内本殿は一間社流造で茅葺。享保15年(1730年)に現在地に遷座した。茨城県の文化財に指定されている[5]。 拝殿は桁行5間、梁間2間で向拝1間付きの入母屋造で茨城県の文化財、随神門は大洗町の文化財にそれぞれ指定されている。
摂末社
祭事大洗磯前神社 年間祭事一覧
文化財茨城県指定有形文化財大洗町指定有形文化財
現地情報
交通アクセス[7]鉄道駅では鹿島臨海鉄道大洗鹿島線大洗駅で降り、徒歩なら約40分またはレンタサイクル。大洗駅前を発着する茨城交通バスで「大洗磯前神社下」バス停、大洗海遊号(大洗町循環バス)で「大洗磯前神社」バス停では下車すぐ。大洗鹿島線とJR東日本常磐線・水郡線が接続する水戸駅前やひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊駅前からも茨城交通バス路線がある。 自家用車などで遠方から訪れる場合は東水戸道路水戸大洗インターチェンジが最寄り。 脚注・出典関連図書
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia