大津市民病院
地方独立行政法人市立大津市民病院(しりつおおつしみんびょういん)は、滋賀県大津市にある医療機関[4]。地域医療支援病院である。 2017年(平成29年)4月1日より、『地方独立行政法人市立大津市民病院』と改称した[3]。 歴史1879年(明治12年)7月に、県が假避病舎を設置したのが始まりである。その後、1899年(明治32年)7月に大津伝染病院が開院、1907年(明治40年)7月に大津市圓山病院と名称変更し、1937年(昭和12年)4月に、大津市、滋賀郡雄琴村、坂本村、下阪本村の組合立伝染病院として、大津回生病院が膳所平尾町に開院した[1]。 第二次世界大戦後に進駐軍の軍政部から大津市長への申入れを受けて、伝染病以外にも診察範囲を広げることになり[2]、大津回生病院の建物を活用して[2]、1948年(昭和23年)8月に大津市立病院が開院した[1]。 この大津市立病院は「新設廉価」を掲げた市民向け医療機関として運営されるようになった[2]。 1963年(昭和38年)12月に竣工した[1]地下1階・地上5階建ての新館に[5]、1964年(昭和39年)1月に移転して新装開業した[1][5]。この新館では、主要な機能は同一の建物内に配置されたが[1]、伝染病棟は隣接する形で設置された[5]。 その後、1984年(昭和59年)4月に新病棟や管理棟の建設を含めた総合整備事業が完了して機能が拡充された[6]。 さらに、同一敷地内に併設されていた付属看護専門学校は石場のガスタンクの跡地に移転することになり[7]、1987年(昭和62年)1月19日に新校舎へ移転した[8][注釈 1]。 その後、外来や検査などの機能拡充を図るために大規模な増改築をすることになり[13]、1996年(平成08年)10月26日に滋賀県内初とされたホスピス病棟の新設を含む増改築を行い[14]、1999年(平成11年)3月に新病棟が竣工した[15]。 2017年(平成29年)4月1日には、地方独立行政法人化し、名称を市立大津市民病院として、新たな一歩を踏み出した。 2021年から2022年にかけて、多くの医師が退職の意向を示す中で、原因は理事長から医師がパワーハラスメントを受けたことによるものとの報道がなされた。 医師の大量退職問題2022年(令和4年)2月になり、当病院に勤務する京都大学系の外科系を中心とした医師32人が退職を表明していることが表面化し、問題となった。退職の意向を示している医師らは、理事長の北脇城(京都府立医科大学出身)により、一方的に人員の削減や交代を迫られるなどのパワーハラスメントがあったと主張[16][17]。理事長はパワハラを否定したが、第三者委員会は理事長の言動が京都大学側の不信感を招いたことを指摘。パワハラは認められないとしたが、理事長は辞任[18][19]、理事長は2022年3月末をもって退任した[20]。院長も4月17日付での辞任を発表したが[21]、「肩書の変更で責任を取る」などとしてその後新たに院長代行に就任した[22]。看護師の離職率も11.6%(2021年)と大きく、患者は激減し過去最大の赤字を計上。2022年4月、再生を託され日野明彦(京都府立医科大学出身)が院長に就任。日野は他の病院で自ら新型コロナ対策を引き受けた実績がある。医療ジャーナリストの千田敏之は、京都大学医学部と京都府立医科大学医学部は鴨川を挟んで位置し、伝統的に対抗意識が強く、京都府立医科大学出身の医師が多い同病院では、各診療科の部長クラスのポストを同大学の教授が握っていると指摘した[16]。 年表
施設救急診療「ERおおつ」は24時間・365日体制で、本館屋上にヘリポートも有する。
付属施設診療科医療機関の指定等
周辺アクセス
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia