大牟田市役所
大牟田市役所(おおむたしやくしょ)は、日本の地方公共団体である大牟田市の組織が入る施設(役所)である。なお、本項では大牟田市庁舎についても解説する。 概要(本庁舎旧館)現市庁舎本館は火事で焼失した旧市庁舎と同じ位置に建築されている[1]。 神奈川県庁本庁舎のような塔屋を高く設け、4階建で大規模な市庁舎が存在する[2]。正面を62メートルとしたRC造4階建の庁舎建築となっている。正面中央部には5層の塔屋を設け、中心性を強調している[2]。塔屋の最上部は9階に当たる。本館は正面に位置し、中央に塔屋がある左右対称の造りである。内部に彫刻が施された議場もあり、建築史家の評価は高い[3]。 建設にあたっては、市庁舎建設委員会を設置し、51回もの協議と先進都市の調査を行い、当時の福岡県営繕課の計画案の基礎に調査・研究を重ねた末、焼失から1年半後の1934年(昭和9年)10月、新庁舎の建設に着手した[1]。 屋上に公害監視の建物が追加されるなど幾分変化はあるが、現在でもほぼ同様の外観を保っている。正面玄関の上には、「大牟田市廳」の看板がある。 現在の市民協働総務課や教育委員会事務局の執務室には、飾りが施された天井や漆喰壁、今は使用されていないマントルピース(暖炉)など、建設当時そのままのものも残されている[4]。 市議会議場の天井を支える柱とはりには植物をイメージした装飾が施されている[5]。 付近はキャブシステムにより電線類が地中化されている。 所在地開庁時間平日の午前8時30分 - 午後5時15分(土曜日・日曜日・祝日・年末年始を除く)[6] 毎月、原則第二日曜日にも一部の窓口が開設(午前8時30分 - 午後0時30分)[6] 市民課 保険年金課 国民健康保険 後期高齢者医療 国民年金 財務課 納税課 子ども家庭課
アクセス
市役所周辺![]() ![]() 大牟田市役所本庁舎は国道208号沿いに建っている。
市庁舎
歴史
国の登録有形文化財(建造物)※「国指定文化財等データベース」(文化庁)による[2]
本庁舎に残る太平洋戦争遺跡※「大牟田市庁舎」(大牟田市)による[1] 大牟田市の都心部の大半が焦土化した第二次世界大戦の戦火にも耐え抜いた。
庁舎の見学※「庁舎見学における注意事項」(大牟田市)による[17] 大牟田市庁舎は見学希望日の1週間前までに申請書を提出すれば無料で見学をすることができる。 (見学できる日は火曜日の午後1時 - 午後4時の間、金曜日の午前9時 - 11時の間。平日のその他の日、閉庁日は見学不可。) なお、塔屋は安全面により立ち入れない。 大牟田市廳舎新築工事概要※「大牟田市庁舎 新築記念絵葉書」による[18]
この当時、水洗式便所は非常に進んだ設備であった。
(この表は「昭和十一年五月 市廰舎新築記念繪葉書 大牟田市」を元に作成) 議事堂、会計係などは当時のままの機能が同じ場所で継続されている。 現在の市長室は当時は議長・副議長室とされており、当時の市長室は現在の副市長室の位置にあった。 解体か保存か福岡県大牟田市は2019年2月5日、市庁舎本館を解体し新庁舎を建設する方針を発表した。屋上には戦時中の防空監視哨が残り、歴史的価値は高い[3]。ただバリアフリー対策は不十分で、診断の結果、耐震性は基準に達していないと指摘されていた。市民の声により解体方針は白紙に戻されたが、今後は市民の声などをもとに解体か保存かを決定する[20]。 大牟田市役所本館の価値※「大牟田市庁舎本館の保存活用に関する要望書」(日本建築学会九州支部)による[4] 昭和戦前期の地方庁舎としての価値神奈川県庁本庁舎のような塔屋を高く設け、4階建で大規模な市庁舎として大牟田市庁舎本館は貴重である。また、F字形の平面も特徴的であり、1933年(昭和8年)に視察した大阪府・京都市・名古屋市の平面形とは異なっている。当建物は旧戸畑市庁舎よりも規模が大きく、立面構成においても洗練さが見られる建築でもある。 石炭産業による大牟田の繁栄を示す建築としての価値大牟田市内には世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である三池炭鉱宮原坑・ 三池港がある。明治期の旧三池炭鉱宮浦坑煙突(1888年〈明治21年〉)、旧三池炭鉱三川電鉄変電所(1969年〈明治42年〉頃)は登録有形文化財に登録されている。また、旧長崎税関三池税関支署(明治41年)は福岡県指定文化財に、港倶楽部(1908年〈明治41年〉)は大牟田市指定文化財に指定されている。大牟田市役所は三池炭鉱には直接的に関係はない。 なお、総経費約40万円の内、三井グループが10万円を寄付したという。昭和8年の大阪府・京都市・名古屋市の視察から分かるように大牟田よりも大都市の庁舎を参考にしたことも当時の大牟田の勢いを示している。竣工前年の昭和10年の大牟田市は人口が10万人超えで全国33位の規模を有した地方有数の都市であった。 大牟田市の象徴的存在としての価値当市庁舎本館は大牟田駅前に建ち、高い塔屋を備えたその特徴的な姿である。1936年(昭和11年)から今日までの80年以上もの間、数々の歴史を見守り続けた当市庁舎本館は絶対的な存在として価値を有している。大牟田市にとってのシンボルであり、また、市民にとってのリビングヘリテッジとして重要である。 市庁舎の耐震性※「庁舎耐震診断調査」(大牟田市)による[21]
30年以内の発生確率が70-80%[22]の南海トラフ地震は大牟田市では震度4-5弱[23][24]と予想されている。 脚注
外部リンク
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