奈良女子大学附属中等教育学校
奈良女子大学附属中等教育学校(ならじょしだいがく ふぞく ちゅうとうきょういくがっこう 英: Nara Women's University Secondary School)は、奈良県奈良市東紀寺町一丁目に所在する、中高一貫教育を実施する国立中等教育学校。 概要2000年(平成12年)に奈良県内で初めて設置された中高一貫の中等教育学校でもある[1]。 奈良女子大学の附属学校であるが、共学校である。奈良女子大学と連携した教育研究の先進的な実践校、かつ教員養成や現職教員のための研修拠点という性格も持ち合わせている。 2005年度から「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に指定され、理科の実験器具の充実が図られている。 基本理念
教育目標世界的・人類的な課題に関して基本的な知識と技能を持ち、 自己の価値観に基づいて判断・主張・行動ができる、 21世紀に必要とされる教養を備えた市民リーダーの育成[3] 中期目標
教育方針アドミッション・ポリシー本校の特徴を理解し、入学後は保護者とともに本校の教育方針に賛同いただける以下のような生徒を求める。
カリキュラム・ポリシー
校訓校訓は制定されていない。大正自由教育の流れをくんだ[5]、「自由」「自主」「自立」の精神を校風とする[3]。 沿革略歴前身は奈良県立奈良高等女学校であり、その後奈良女子高等師範学校附属高等女学校に改組され学制改革に至った[注釈 2]。 設立当初は良妻賢母の育成を目指していたが、大正デモクラシーの影響で、木下竹次らが自由で民主主義的な教育を展開した。 1947年、学制改革で附属中学校(新制)を新設し、第1学年より男女共学を開始。翌1948年に附属高等女学校を附属高等学校(新制)に転換し、1950年に第1学年より男女共学を開始した。1952年には奈良女子大学文学部附属高等学校・中学校となった。1958年に現在地の旧進駐軍キャンプ地[注釈 3]跡に移転。 1950年代から1970年代前半にかけては、県屈指の進学校と呼ばれるようになり、県内だけではなく大阪府や京都府からの入学希望者も多かった[注釈 4]。中学校から高等学校への連絡進学において、入学者選抜が行われ、志望者全員が進学することは出来なかった。 1973年の入学者より中高一貫教育に移行した[注釈 5]。2000年には中等教育学校に改組され、奈良女子大学文学部附属中等教育学校となり、2004年から国立大学法人奈良女子大学附属中等教育学校となった。 年表
基礎データ所在地通学区域保護者のもとから公共交通機関を利用して、概ね1時間以内で通学し、下記地域に居住する者が出願できる[6]。 アクセス象徴校歌校歌は戦前に制定されたが、戦後、校歌に代わるものとして「学友の歌」が3曲制定された。「学友の歌(3)」が入学式・卒業式などで歌われている。入学式・卒業式の時には出席する生徒に歌詞カードが配られる[注釈 6]。作詞は武部利男、作曲は前田卓央による。 制服学生運動が治まった後も、制服に対する廃止運動が起こり、その結果、制服は廃止された。 また、上履きに対する変更運動も起こった。一度は、生徒大会にて、スリッパの変更を保留するという議決となったが、スリッパの形状が正常な発育を阻害するという見解が出たことを受け、2006年度入学生より変更となった。 頭髪規定2003年、生徒大会にて、後期課程の生徒のみ頭髪の染色・脱色・パーマネントを認めるという議決がなされ、翌2004年より認められた。 設置する課程、学科及び定員後期課程前期課程
教育課程独自のカリキュラムを組んでいる。また、様々な教育についての取り組みがある。これらには大学や他の学校と協力して行われるものもある。生徒が主導の研究や授業や、フィールドワーク(校外学習)が充実している。
学校行事一泊行事(1年)や全校レクリエーション(遠足、各学年)、スキー合宿(3年)、修学旅行(5年)等の学校行事においても、生徒の自主的な計画・行動が尊ばれている。 学園祭1946年(昭和21年) に産声を上げた附属高等小学校の「大学芸祭」は1949年から「学園祭」と呼ばれ[注釈 7]、三四半世紀以上続く伝統的学校行事である。 1970年には日米安保に反対する生徒グループが学校を占拠し[注釈 8]、学園祭が延期となったことがある。 毎年9月下旬の土曜日・日曜日の2日間に渡り開催され、開催前日は全日の準備期間と前夜祭もしくは前日イベントがある。土曜の公開終了後は中夜祭、日曜の公開終了後に後夜祭を実施している。 多くの生徒たちにとって、学園祭は1年でもっとも楽しみで卒業後まで印象に残る行事であり、またそれを支える本校教育活動の集大成でもある。企画の中心は、生徒たちにより選出された学園祭運営委員会であり、この運営委員会のもと、実行部と呼ばれる組織が学園祭の各企画を作り上げている。 行事は生徒が自主的に運営するもので、校風を育むもととなっている。学園祭運営委員会が毎年3月より全体の指揮を取り、各クラス・団体も4月より活動を始める。2011年開催の第67回学園祭からは、以前分割された広報部と外務部が再び統合され総務部となる。 夏期休暇期間中ほぼ毎日活動して制作される、校門に設置のアーチは、学園祭の顔として親しまれる。教室を使用した発表や、中庭に制作されたライブステージによる企画番組などがある。特に、演劇発表が盛んで、津島勝、鵜山仁、八嶋智人や松村武といった舞台芸術で活躍する人材の輩出に繋がっている。 2009年開催の第65回学園祭では、折り鶴で巨大な鶴のオブジェを作り、NHKや複数の新聞社による取材を受けた。また使用された折り鶴を一つの輪にしたものは、「7キロにも及ぶ折り紙のレイ」として、2011年、ギネス世界記録に認定された。 学校施設2001年に完成(2002年4月より使用を開始)した総合教育棟(通称 新館)では、コンピューター、情報、国際などの様々な機器や資料が備えられている。多目的ライブラリー(図書室)や生協食堂・購買、多目的ホール、ゼミ室などがある。2016年夏には全普通教室と特殊教室の黒板を撤廃し、ホワイトボードとプロジェクターが導入された。 校舎南側に位置するテニスコートは人工芝4面のコートを有する。グラウンドの北と西側に設置されたフェンスは定期的に改修が行われている。 近年建物(比較的最近建設された新館を除く)の老朽化が進んでいることが問題となっており、天井や壁など生活における安全性の観点から危険と思われる箇所が複数ある。 近くに奈良公園があるため、以前は時折校内に鹿が迷い込むことがあった。しかし、子供を標的とした犯罪を防ぐため門の戸締りや柵の補修が徹底された結果、近年そのような迷い込みは稀なものとなっている。正門付近には鹿が入るので門を閉めるように促す旨の看板がある。 中教関係者と組織中教関係者組織
中教関係者一覧対外関係海外姉妹校
以前は奈良女子大学と連携したドイツ、イギリス、スウェーデン、チェコ、南アフリカの大学との交流「グローバルクラスルーム(GC)」が年一回開催されていたが、現在は『YES for ESD』と称して年一回アジアの国々とフィリピンで交流を行っている。 交流校
関連項目脚注注釈
出典
外部リンク |
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