学校法人京都文教学園
学校法人京都文教学園(がっこうほうじんきょうとぶんきょうがくえん)は、京都府宇治市槇島町千足80に本部を置く学校法人。 1904年、浄土宗の僧侶獅子谷仏定によって設立された「高等家政女学校」をルーツとし、建学の精神として仏教の精神をかかげる。学校法人としての設立は1951年。2002年に「学校法人家政学園」から現名称に変更した。 設置する学校
かつての設置校
特色中学校・高等学校は校訓として「三法帰依」[1]を掲げている。「謙虚にして真理探究」(帰依仏)、「誠実にして精進努力」(帰依法)、「親切にして相互協同」(帰依僧)の意とされる[1][2]。この校訓は、新制中学校・高等学校の発足時に、当時の校長三枝樹正道が定めたものである[3]。 同様に、短期大学は建学の精神として「仏教精神に基づく人間育成」[2]、大学は建学の理念に「四弘誓願」を掲げる[4][3]。 沿革1904年(明治37年) 、法然院(浄土宗)の獅子谷仏定[注釈 1]の発願によって、烏丸松原(因幡薬師)の仮校舎に「高等家政女学校」が設立されたことをもって学園の創立とする[注釈 2][3]。在校生の増加に対応して1916年に大雲院に校舎を移転[3]。1930年(昭和5年)に大島徹水(のちの増上寺法主)は校長(第3代[10])に就任[3]、岡崎に校舎を新築し移転を実現した。なお、1945年には京都女子厚生専門学校(旧制女子専門学校。1952年廃止)を設置している。 第二次世界大戦後の学制改革により、家政学園高等女学校は新制の中学校・高等学校となる。その後、幼稚園(1953年)、短期大学(1960年)、小学校(1982年)、大学(1996年)を開設して総合学園へと発展した。中学校・高等学校は創立以来女子校であったが、2004年の創立100周年を契機として男女共学化した[9][11]。 年表
脚注注釈
出典
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