学校法人岡崎学園 (愛知県)
学校法人岡崎学園(がっこうほうじんおかざきがくえん)は、愛知県岡崎市に本部を置いていた学校法人である。1906年(明治39年)6月13日に愛知県知事より『岡崎裁縫女学校』の設置が認可された。2014年(平成26年)3月31日に学校法人河原学園に吸収合併され、解散した。
概要時代の要請に応える優れた女性の醸成を目指すべく、長く家政科を持つ女子高等学校のみを運営してきたが、第3代理事長白井通義が拡大路線を図ったことにより、1大学1高等学校1中学校を擁する中規模学園に成長した(ただし、全校とも大幅な定員割れを起こしており、このうち『人間環境大学岡崎学園中学校』については2011年(平成23年)度より学生募集を停止することが決まった。)。 創設者一族による安定運営が続いていたが、知名度不足や近隣ライバル校との競争激化により、『人間環境大学岡崎学園中学校』が開設後わずか6年で学生募集を停止する等、学生募集で芳しくない状況が続き、2009年(平成21年)には経営破綻寸前の状況に追い込まれた。 このため、2010年(平成22年)4月1日に同じ岡崎市内に本拠を持つ服部グループの総帥で『学校法人服部学園』や『財団法人服部公益財団』を運営する服部良男を第4代理事長として招聘し(前理事長となった白井通義は新設された学園長に就任。)、地元商工界の協力も得て学園の再生を目指すこととなった。 しかし、その後も財務状況の悪化を食い止めることができず、優秀な教職員が次々と転退職する等の状況も続いたため、自力での再生を諦め、オーナーが同じ岡崎市出身者で破綻企業の支援を手掛け、英会話学校「NOVA」を運営する株式会社ジー・エデュケーションが筆頭株主の投資会社『いなよしキャピタルパートナーズ』に学園運営の参画を打診するに至った(2011年(平成23年)1月4日付で地元一部マスコミより報道された「「NOVA」大学設立」のニュースはこの大学のことを指している。)。 この動きは諸般の事情から結局合意には至らず、2010年(平成22年)11月には前述の第4代理事長服部良男が突如辞任を表明する等、学園運営で混乱を極める状況が続いたため、外部関係機関と再建に向けた協議を進め、結果、愛媛県松山市にある『学校法人河原学園』の傘下に入り、学園の再生を目指すことで決着が図られた。2011年(平成23年)4月2日、公式サイト上で平成23年3月23日付で第6代理事長として河原次瞭が就任したことが発表された(同時に『人間環境大学』学長の交代も発表している。)。 『岡崎裁縫女学校』の開校以来100年余り続いた学園は、愛媛県松山市にある『学校法人河原学園』との提携により、事実上幕を閉じることとなった(なお、この日に『人間環境大学岡崎学園中学校・高等学校』校長白井恵三(創立者の一族であり、第3代理事長白井通義の長男。)が2010年(平成22年)11月に第5代理事長として就任していたことが明らかとなった。)。 一連の経営危機について、地元教育業界からは「財務状況の悪化を食い止められなかった運営責任者や経理担当者の責任を徹底して追及するべきである。」「能力のない職員を管理職に登用する等、不適切な人事を実施したことで職場のモラルダウンと経営不振を招いた。」と指摘する声が出ている。 運営側の法令遵守意識が低いことで知られており、2011年(平成23年)には給料や諸手当、教員研究費の不払い、諸計画文書を学内規程で定める手続きを無視して一方的に策定する等の問題行為が、2013年(平成25年)には愛知県労働委員会から不当労働行為救済申立てに係る命令書の交付を受ける等の不祥事が次々と発覚している。 2013年(平成25年)10月に『学校法人河原学園』との合併が公表された。この合併には反対の署名活動が展開され、12万あまりの署名簿が法人側に届けられていた。 沿革以下の記載の大半は、学校法人岡崎学園の公開沿革史[1]および学校法人岡崎学園事業報告書[1]による。
歴代理事長設置機関
廃止機関脚注外部リンク
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