守屋寿コレクション
守屋寿コレクション(もりやひさしコレクション)とは、古地図収集家守屋寿が収集した、16世紀 - 19世紀の国内外の古地図を核とする歴史資料と関連図書からなるコレクションである。古地図の個人コレクションとしては国内最大規模とされる。 概要コレクションは、西洋製の古地図、日本製の古地図、近世日本の対外交渉史関係資料、守屋寿の出身である広島県福山市にゆかりのある資料などのテーマに分類できる。コレクションの点数は、歴史資料1,022点、図書資料204点で、総点数は1,226点である[1]。このうち核となる古地図資料は428点(西洋など外国製古地図:152点、日本製古地図:276点)で、個人コレクターが所有する古地図のコレクションとしては、国内最大の規模であるとともに、国内外の古地図資料がともに充実していることは、本コレクションの大きな特色といえる[2]。 コレクションは、2014年(平成26年)に848点が寄託された後、2016年(平成28年)、2018年(平成30年)に追加資料が広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)に寄託されるなどし、蒐集活動が終了した2020年(令和2年)までに、計1350点全ての所有権が博物館に移転され、古地図の個人コレクションとしては質・量ともに国内最大規模とされた[3]。現在、全点が同館で保管されている。 なお、2017年3月から本コレクションの一部がデータベース化され、広島県立歴史博物館のWEBサイト「デジタル・ミュージアム」のページで閲覧できる。 西洋製の古地図世界地図については、西洋世界にアメリカ大陸の情報が入る前の「プトレマイオス世界図」から、19世紀にキャプテン・クックがもたらしたオーストラリア・ニュージーランドなどの情報を盛り込んだ世界地図まで、西洋での世界図の変遷をたどることができる[4]。同じく日本及びその周辺の地図についても、マルコ・ポーロの記述に沿うように「ジパング」が描かれた地図から、シーボルトによって間宮海峡が描かれた地図まで、地図が進歩する変遷をたどることができるコレクションである。 日本製の古地図世界地図については、日本初の刊行図である「万国総図」から、江戸時代後期 - 末期にかけて幕府が制作した世界地図まで、日本人が作った世界地図をほとんど網羅している。また、仏教の世界観に立脚した世界図も収集されている。 日本図については、いわゆる「行基図」から、幕末 - 明治初年にかけて刊行された伊能図まで、江戸時代を通じて地図の変遷をたどることができる[5]。とりわけ、幕府が制作した日本図については、徳川吉宗が制作を命じた「享保日本図」の測量原図と考えられる資料[6]や、島原の乱後に幕府が制作した日本図(「寛永B日本図」)の写し[5]など、希少な資料を含む点が特筆される。そのほか、「城下絵図」や、幕府が諸藩に制作を命じた「国絵図」も中国地方を中心に収められている[7]。 対外交渉史関係資料西洋との関係では、江戸時代に来日した人物(ケンペル、シーボルト、ペリー、プチャーチンなど)に関わる書籍(原著)及び絵画資料、西洋で紹介された日本の姿を示す絵画資料、蘭学関係や漂流民に関する資料がある。アジア諸国との関係では、琉球使節や朝鮮通信使に関する資料も収めている[8]。 福山市関連資料瀬戸内海の港町「鞆の浦」に関係する絵画資料や古文書類、福山城下絵図、江戸時代後期の福山藩に関連する資料などがある[1][7]。 主な資料
コレクションの展示会
広島県立歴史民俗資料館頼山陽史跡資料館(広島県立歴史博物館分館)脚注
参考文献
関連項目外部リンク |
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