対馬丸記念館
対馬丸記念館(つしままるきねんかん)は、沖縄県那覇市若狭にある、1944年の対馬丸事件についての資料が保存された施設[1]。この記事では対馬丸事件(つしままるじけん)についても記述する。詳細は「対馬丸#対馬丸事件」も参照。 概要1944年8月21日、800人余りの学童を含む約1,800人を乗せ那覇港を出航した学童疎開船対馬丸は、翌22日の夜、鹿児島県悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け撃沈された[2]。このとき、学童780人を含む1,484人(2018年8月22日までの氏名判明者)が一瞬のうちに亡くなったと言われている[2]。この学童疎開船対馬丸の悲劇を後世に伝えようと、国の慰藉(いしゃ)事業として対馬丸記念館は2004年8月22日に開館した[3]。開館当時は財団法人対馬丸記念会が運営していたが、その後、2013年4月1日をもって公益財団法人対馬丸記念会へ移行した[2]。 記念館完成前の2003年3月時点では、100人分以上の遺影が収集され[4]、7組の生存者の証言が残されていた。生存者が少ない上に、沖縄戦で被害を受け、開館当初の遺品は17人分であった[5]。その後、遺影が200人分を超えるなど展示スペースが手狭になり、2009年になってリニューアルが行われた[6]。 1997年、対馬丸の船体が海底から発見されたことをもとに、天皇明仁(当時)が御製を詠んだ。
この御製は、記念館に掲げられている[7]。2014年6月27日、明仁天皇・美智子皇后が記念館を訪問し、遺族らと懇談した[8]。 施設データ
記念館の外観は対馬丸をイメージして設計されている[10]。屋上までの高さが約10メートルで、これはちょうど当時の対馬丸の海面から甲板までと同じ高さになっている[10]。タラップから艦(館)に乗船するイメージから、館内への入口は2階に設置されている[10]。二階の第一展示室から一階の第二展示室への階段は、船倉へ下るイメージを再現している[10]。
周辺脚注
関連文献
関連項目外部リンク
座標: 北緯26度13分12.4秒 東経127度40分22.1秒 / 北緯26.220111度 東経127.672806度 |
Portal di Ensiklopedia Dunia