対馬琴のイチョウ![]() 対馬琴のイチョウ(つしまきんのイチョウ)は、長崎県対馬市上対馬町琴(きん)地区に生育するイチョウの巨木である[1][2][3]。単に「琴のイチョウ」(きんのイチョウ)または「琴の大イチョウ」(きんのおおイチョウ)とも呼ばれる[1][3]。推定の樹齢は1500年といわれ、「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」などの伝承がある[1][2][3]。1961年(昭和36年)には、長崎県の天然記念物に指定されている[4][5]。 由来琴は、対馬北部の東海岸に位置する集落である[5][6]。古くから朝鮮半島との交流があり、大陸文化の入り口となっていた場所で、1471年(文明3年)に朝鮮で著された『海東諸国記』という書物に「四十余戸」と記載されている[1]。 対馬琴のイチョウは、曹洞宗に属する長松寺という寺の前に生育している[4][7][8] 。この木は雄株で推定の樹齢は1500年といい、そのため「日本最古のイチョウ」、「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」との伝承がある[1][2][8]。古くから対馬全島に存在を知られていて、「琴のイチョウは対馬の親木、胴のまわりが三十と五尋」[9]と対馬各地の地搗き唄で歌われていた[1][2][8]。 35尋という数値は過大であるが、よく目立つ木であり、1809年(文化6年)に書かれた『対馬記事』には「沖より見れば茂りて山のごとし」と記述されていた[1][10]。かつてのこの木は、幹周り12.5メートル、樹高は40メートルを測っていた[1][2]。カメラマンで巨木に関する著書のある高橋弘が2004年に測定したところ、樹高は23メートル、幹回りは13.3メートルの数値となっていた[3]。 1798年(寛政10年)には落雷に遭い、幹が裂けて焼け焦げ、中に空洞ができた[1][2][5][10]。この空洞には、近年まで稲荷の祠が祀られていた[1][10]。明治時代初期には、近くの民家の火災で延焼する難に遭った[2]。その後蘇生して樹高は40メートルにまで成長したが、1950年(昭和25年)9月の台風29号(キジア台風)によって主幹が折れた[10]。度重なる災害にもかかわらず樹勢は盛んで、とりわけ健全な東側の幹からは「乳根」を垂らしているほどである[1][3][5]。地元の人々もこの木を大切にしていて、かつて琴小学校と琴中学校(ともに1993年閉校)は、「イチョウ」を校章にしていた[1]。 対馬琴のイチョウは、1961年(昭和36年)11月24日に長崎県の天然記念物に指定された[5][6][11]。1990年(平成2年)に開催された「国際花と緑の博覧会」に合わせて企画された「新日本名木100選」では、長崎県から「奈良尾のアコウ」(長崎県南松浦郡新上五島町、国の天然記念物)とともに選定されている[1][12][13][14]。 交通アクセス
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
座標: 北緯34度33分24.6秒 東経129度27分23.7秒 / 北緯34.556833度 東経129.456583度 |
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