小川町 (茨城県)
概要茨城県のほぼ中央に位置し、東京からは約80kmの霞ヶ浦沿岸にある人口約2万人ほどの町で、現在は小美玉市の東南部の地域にあたる。2006年(平成18年)3月27日に東茨城郡美野里町と新治郡玉里村と合併して、小美玉市となった。かつて、水戸と東京(江戸)を結ぶ霞ケ浦の水運の町として栄えた。昭和後期からは近代農業を主な産業に、「おかめ納豆」で知られるタカノフーズ本社などの企業を持ち、住宅地が調和する町で、主な農産業は茨城県指定銘柄のニラのほか、ダイコン、ゴボウなどの野菜、水稲ではコシヒカリを中心に生産し、果樹園芸も盛んだった[1]。また、航空自衛隊の百里基地のあるところでも知られる。百里基地では2年に1度、一般公開の航空祭が催され、この時ばかりは県内外から数万人の人出でごったがえし、片側一車線の周辺道路は数kmにわたって渋滞する。行政面では、全国でも例のない孝子褒制定条例を制定し、毎年の町村合併記念式典では親に感謝し孝養を尽くす町民をたたえて賞を授与するなど、緑とやすらぎの町として心豊かな人づくりを進めるユニークな施策が行われており、教育・文化の面では、町民のシンボルでもある「小川町音頭」が小学校教育に取り入れられたり、町内の三大行事である「町民運動会」「盆踊り大会」「文化祭」で小川町婦人会を中心に披露された[1]。 地理茨城県のほぼ中央部に位置し、霞ヶ浦の高浜入の北のほとりで、東茨城郡最南端の町であった。現在は小美玉市の南東部の地域にあたる。北は美野里町、東は鉾田町(現鉾田市)、南に玉造町(現行方市)と玉里村、西に石岡市が接していた。 地勢は概して平坦で畑作地と平地林が広がる常陸台地が大部分を占めており、東茨城台地の南端にあり南東部は行方台地へと続いている。南西に霞ヶ浦の支流園部川、北東に巴川が町域をはさむように南流し、河川低地と谷津とよばれる侵食谷は水田地帯である[2]。 主な特産物は、ニラ、イチゴ、納豆であった[2]。 隣接していた自治体歴史年表
行政区域変遷
町長教育・保育機関保育園・幼稚園
小学校中学校高等学校図書館
医療機関
交通鉄道同路線の常陸小川駅は隣接する玉里村にあった。 道路脚注関連項目 |
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