小石川七人斬り事件
小石川七人斬り事件(こいしかわしちにんぎりじけん)は1915年(大正4年)3月15日、東京府東京市小石川区表町(現:東京都文京区小石川)にあった東京電燈(東京電力の前身)小石川出張所で、一家8人のうち幼児を除く7人が殺傷された事件[1]。同年9月に犯人の男2人が逮捕され、10月に死刑判決が言い渡された[1]。 事件の発覚1915年3月15日の早朝、東京電燈小石川出張所を用務員が訪ねたところ、1階で4人の男性作業員が血だらけで倒れ、2階で出張所に住み込んでいた主任一家4人が血まみれで倒れていた[2]。用務員の通報で、出張所前の富坂警察署の警部補・医師・刑事数人が現場に急行、東京地裁から予審判事・検事、警視庁から捜索係長らが駆け付け捜査にあたった[2]。重症を負った被害者は病院に搬送されたが、作業員3名と主任の妻がその後亡くなり、現場で死亡していた作業員1名を含む計5名が命を落とした[2][3]。 犯人捜査は難航し、多くの参考人が取り調べを受けた末、9月12日に神田三崎町で飲食店を営む強盗前科数犯の大岩寅次郎(当時39歳)が逮捕された[4]。大岩の自供から、共犯として土木作業員の香取彦次郎(当時38歳)が逮捕された[5]。両者とも前科者で監獄で知り合い、巣鴨の東京電燈出張所で作業員の経験のある香取の話から、主任宅に金があると見ての犯行だった[3]。自供によると、出張所の便所の窓から押し入り、薪割りと玄能で1階の作業員を殴打したのち、2階で一家を襲い、金庫を開けようとしたが失敗したため、奪った金時計を持って逃走した[3]。 裁判10月18日、東京地裁刑事第2号法廷(立石裁判長係)で公判が開かれ、傍聴人が殺到する中、検事は大岩・香取の両被告人に死刑を求刑[6]。同月22日に再び公判が開かれ、裁判長は2人に死刑判決を言い渡した[7]。その後、2人は1916年(大正5年)8月12日に死刑を執行されている[8]。 脚注
参考文献
関連項目 |
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