小西健司
小西 健司(こにし けんじ、1955年(昭和30年)10月20日 - )は、日本の音楽家。「4-D mode1」リーダー。「P-MODEL」元メンバー。ビジュアルアーツ専門学校・大阪校クリエイティブワーク習担当[1]。現在はドイツ(ライプツィヒ)に在住。愛称は「和尚」。 略歴1982年10月、関西プログレ・シーンの中でひときわ異彩を放っていたグループ「DADA」の小西健司と、上方フュージョン・シーンを代表するグループであった99.99(フォー・ナイン)に在籍していた成田忍と横川理彦、神戸でイベンター「FREE ALL!」を主宰していた中垣和也の4人によって、4-Dを結成[2]。ソノシートをライヴハウスやブティックなどで定期的に無料配布、mode-1、mode-2、mode-0などいくつもの別ユニットを派生させるなど、従来のロック・バンドの枠組みに収まらないユニークな活動を展開[2]。成田忍がアーバン・ダンスでデビューしたり、横川理彦がP-MODELに加入したことによって、mode-1としての活動は85年発表の1stアルバム『A STYLE OF BUILDING』で休止状態となる[2]。その後、4-Dは小西健司のユニットとして機能することとなり、関西テクノシーンを席巻する[2]。 →4-Dでの活動については「4-D (音楽ユニット)」を参照
1987年頃から関東のテクノバンド『P-MODEL』の平沢進と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーの往復書簡で遠距離での楽曲制作を始める[3]。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された[4]。 1994年、P-MODELの「改訂」に伴い、メンバーとして福間創、上領亘と共に参加。2000年、P-MODELの「培養」(活動休止、事実上の解散)に伴い脱退。同年の平沢進のインタラクティブ・ライブ「INTERACTIVE LIVE SHOW 2000 賢者のプロペラ」に「アイアン・ナッカドー」役で出演[5]。 2004年、小西健司、成田忍、横川理彦の黄金のオリジナル・メンバーが再結集。4-D mode1を再始動[2]。 2020年、P-MODEL元メンバーの福間創の5年ぶりフルアルバム「this is our music」のゲストミュージシャンとして、同じくメンバーであった平沢進と共に参加[6]。2021年7月14日に発売された『FILTER Volume.01』創刊号に表紙アーティストとして登場、P-MODELメンバーであった平沢進、福間創との鼎談「シンセサイザーの制御と表現」が掲載される[7]。それに伴い、FILTERの公式YouTubeチャンネルにて、取材後に急遽行われた福間創とのモジュラー・シンセによる即興セッションの模様が投稿された[8]。 ディスコグラフィーアルバム
シングル→4-Dのソノシートについては「4-D (音楽ユニット) § ディスコグラフィー」を参照
その他リリース
脚注出典
関連項目外部リンク |
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