山添村立奈良県立山辺高等学校山添分校
山添村立奈良県立山辺高等学校山添分校(やまぞえそんりつ ならけんりつ やまべ こうとうがっこう やまぞえ ぶんこう, 英: Yamazoe Municipal Yamazoe Branch of Nara Prefectural Yamabe High School)[2]は、奈良県山辺郡山添村大字大西に所在する県立高等学校の村立分校[3][4]。 概要昼間定時制[注釈 2][注釈 1]で、職業体験を軸に教育を行っている。 校名[2]の通り、村が開設した県立高等学校の分校[3]。 校地のある山添村が三重県との県境に位置しており、山添村と隣接の三重県伊賀地方は「古くから一つの生活圏」[注釈 3]のため、所定の奈良県の手続きを踏んで入学者選抜に出願すれば、伊賀市と名張市から入学できる[6]。 教育目標農業科、家政科の特性を生かし、チャレンジ精神に満ち、どんな困難にもくじけず、正々堂々と生きる人間を「ゆっくり、じっくり、たっぷり」育てる学校づくりを目指す[7]。
目指すものモットー - 「しっかり勉強 きっちり行動 はっきり発表」[8] 目指す学校像教職員英知を結集して、確かな学力、豊かな人間性、たくましい心身や社会感覚をバランス良く備え、将来社会に貢献できる「生きる力」をもった人材を育成する[8]。 目指す教員像目指す生徒像
教育方針本校の教育は、日本国憲法、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、新しい時代の個性豊かな文化の創造と人権尊重の民主的な社会の形成者として主体的に生きる国民の育成を期して推進する[8]。 校訓校訓は、「創る喜び」「豊かな心」「励む力」である。1999年(平成11年)2月1日に制定された。
沿革略歴前身は波多野高等公民学校に始まり、1948年(昭和23年)12月奈良県立山辺高等学校波多野分校として認可され、1949年2月に開校した。 1956年9月山添村の誕生に伴い、校名も奈良県立山辺高等学校山添分校と改称された。 2016年、設置者が村、管理者は奈良県と分かれている状態について、同県教育委員会と文部科学省が是正を指導。村は廃校するか、管理者となって本校化するのか検討を行った。2025年3月4日、野村栄作村長は「存続は村の財政を圧迫し、本校化は難しい」として、同校を2028年度に閉校し、村立の本校にしない方針を村議会で明らかにした。今後については、民間による学校法人化を模索する、としている[9]。 年表
基礎データ所在地通学区域アクセス
象徴校章校章は、山辺高等学校と同じであり、1950年(昭和25年)に制定。創案は卒業生の高倉規作による。山に囲まれた輪郭の中心に「高」の字を配して、大和高原における文化の中心としての本校の存在を示し、「高」を囲む六つの峰は本校創立当時の旧山辺郡六ヶ村を表すとともに、中国故事にある六則(中・和・正・公・誠・通)を意味し、これを生活の規範 として六合(四方・上下)に伸びる若い力を象徴している。 校歌校歌は、歌詞は3番まであり、1番に校名の「山辺」が登場する[1]。 作詞は岡部建明、作曲は遠藤孝二による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「山添」が、3番に「山添学舎」が登場する[10]。 設置する課程、学科及び定員定時制課程(昼間) - 120名(募集人員30名:一般選抜) 農業科、家政科の2つの学科をまとめて、農業・家政科として募集する。
部活動運動部文化部高校関係者と組織高校関係者組織
脚注注釈出典
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia