岡田隆 (外交官)![]() 岡田 隆(おかだ たかし、1960年5月4日[1] - )は、日本の外交官。外務省総合外交政策局審議官、内閣官房内閣審議官、ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使、サイバー政策担当大使(2015年)、在英国大使館公使を経て、2020年よりアフガニスタン駐箚特命全権大使を務めた[2][3]。2023年にはフィンランド駐箚特命全権大使を拝命[4]。 人物・経歴![]() 東京都出身。1984年東京大学教養学部卒業後キャリア外交官として外務省入省。イギリス留学、エジプト在勤、国際連合日本政府代表部在勤などを経て[5]、1999年在南アフリカ共和国日本国大使館一等書記官。2001年在南アフリカ共和国日本国大使館参事官。同年外務省北米局北米第二課日米協力推進室長。2002年外務省総合外交政策局総務課企画官。2004年外務省総合外交政策局総務課外交政策調整官。2005年外務省大臣官房広報文化交流部総合計画課長[6]。 2006年内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付) 内閣官房拉致問題対策本部事務局政策企画室長。小泉政権時、中山参与の下、日本人拉致被害者帰国に尽力。2008年外務省欧州局政策課長。2009年在タイ日本国大使館公使。2012年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使。2014年外務省大臣官房審議官(国会担当)。2015年外務省大臣官房審議官兼総合外交政策局(大使)、領事局。同年内閣官房内閣審議官(内閣情報調査室) 、内閣官房内閣情報調査室次長。2017年在英国日本国大使館特命全権公使[6]。 カーブル陥落後の対応2021年8月、岡田大使は日本に出張中であった。(外務省への報告.協議)14日予定を早め首都カーブル(カブール)に向かう。乗継地イスタンブールにてアシュラフ・ガニー大統領逃亡、カーブル陥落、フライトはキャンセルとなる。在アフガニスタン日本大使館はカーブル陥落当日15日に閉鎖[7]。在イスタンブール総領事館内に在アフガニスタン大使館臨時事務所を設置。17日に日本人大使館員12名が英国軍機でカーブル脱出[8]。 8月20日、中東訪問中の茂木敏充外相と面会して指示を受ける[9]。8月23日、岸信夫防衛大臣が邦人救出のため自衛隊派遣を命令(在アフガニスタン・イスラム共和国邦人等の輸送)。8月27日に自衛隊機による救出が遂行されたが、同機に搭乗できたのは邦人1名のみで現地人の大使館職員らが置き去りになった[10]。 9月1日、在アフガニスタン日本国大使館臨時事務所をイスタンブールからターリバーン(タリバン)事務所のあるカタール・ドーハへ移転[11]。 11月24日、岡田大使が陥落以降初めてカーブル入りしてターリバーン幹部と会談し、日本がカーブルの大使館を再開する可能性を示唆した[12][13]。 2022年5月15日から19日にかけて改めてカーブルを訪問し、アミール・ハーン・ムッタキー外務大臣代行やアブドル・カビール等のターリバーン幹部と会談したほか、ハーミド・カルザイ元大統領や国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)関係者、女性支援団体等とも意見交換をした[14]。 9月末、約1年1ヶ月ぶりにカーブルの大使館を再開した[15]。 同期入省
出典
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