岩崎寛弥岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 2008年7月23日)は、日本の実業家。三菱銀行取締役・東山農事[1]社長を歴任した。 来歴・人物岩崎彦弥太・操子夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれた[2][3][4]。父・彦弥太は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男すなわち三菱の創業者・岩崎弥太郎の嫡孫にあたり[2][3][4][5]、戦前は三菱本社副社長、戦後は三菱地所取締役を務めた人物[4]。従って寛弥は久弥の嫡孫すなわち弥太郎の曾孫にあたる[2][4]。母・操子は佐竹東家第17代当主・佐竹義準の三女[2][3][4]。父方の叔父に元三菱製紙会長の岩崎隆弥と元東京海上火災保険常務の岩崎恒弥がおり[2][4]、父方の叔母にエリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜がいる[2][4]。また母方の伯父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる[2]。 旧制成蹊高等学校を経て東京大学に入学。東大では若泉敬・矢崎新二・佐々淳行・粕谷一希らとともに学生研究会土曜会を結成。1953年に東京大学経済学部を卒業し三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行、情報開発室長、営業本部営業開発室長を経て1983年6月取締役に就任した[4]。「将来の頭取候補」「岩崎家に大政奉還はなるか?」といわれ、経済関連のマスメディアにも取り上げられたが、1985年非常勤取締役に退き、以後は小岩井農牧やその親会社・東山農事の経営に携わった。父・彦弥太が死去した1967年以降78歳で病没するまで岩崎弥太郎家の4代目当主となった。妻は清水恵美子の長女、美智子。実子はなく、一時岩崎輝弥の孫で岩崎英二郎の長男の岩崎透を養嫡子にしたが、のちに縁組解消した。透の妻は斎藤英雄の二女、秀子。 建築家の国広ジョージ(国広ジョージ健彦)は甥、地質学者・古生物学者で熊本大学名誉教授の岩崎泰頴は又従弟[2]、児童文学作家の勝田紫津子は又従妹。 系譜
関連項目参考文献
脚注・出典 |
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